520人、みんなを家族の元へ

映画「コレクター」かと思った。アメリカで約10年間行方不明だった
女性3人の生存が確認された。

監禁である。それも犯人は兄弟3人。兄弟姉妹が仲がいいのは
いいことだけれど、こんな仲良しは嫌だ。

表に出ていないだけで、こんな事件も多いのだろうな。

『墜落遺体──御巣鷹山日航123便』(飯島訓 講談社+α文庫)
読了。

マリコ 津慶、知代子どうか仲良くがんばってママを助けて下さい。
パパは本当に残念だ。
ママ、こんなことになろうとは残念だ。
さようなら、子供たちのことをよろしくたのむ。
今六時半だ。飛行機はまわりながら急速に降下中だ。
本当に今まで幸せな人生だったと感謝している」

きりもみ状態で急降下する旅客機のなか、家族へ向けて認められた
遺書は胸に重く響く。

暑い夏だった。1985年8月12日の夕刻。乗員乗客524人を乗せた
日本航空123便は、機体のコントロールを失い群馬県御巣鷹山
に墜落した。生存者は僅かに4人。

本書は群馬県警高崎警察署に勤務中に、世界航空機事故史上
最悪となる日航機墜落事故の際に遺体確認藩の班長として
現場で指揮を執った著者による手記である。

既に単行本で読んでいるのだが、文庫版で再読である。再読でも
航空機事故による壮絶な遺体の状態には言葉がない。

身体の一部が欠損しているのはましな方だ。シートベルトが上半身と
下半身を分断し、内臓や脳が失われた遺体。人体の原形を留めない
肉塊。ひとりの体に、もうひとりの体がめり込んだ遺体。そうして、妊娠
していた女性の体から飛び出した胎児が、現場の土の中から発見
される。

警察官、医師、歯科医師、看護婦、ボランティア。遺体の検視・確認
作業にあたったすべての人たちが、一刻でも早く、間違いないよう
遺族の元へと帰れるように作業を進める。

マスコミ対策もあり、締め切られ暗幕を張り巡らした体育館。連日の
猛暑のなかで過酷な作業が続けられた。

読んでいる途中、何度もページを閉じ、再度開くことを繰り返した。
あまりにも凄惨である。だが、これが現実に起った事故であり、
事故が起れば動員される人々がいるのだ。

8月14日から始まった遺体の確認作業は12月18日まで続けられた。
辛い作業であったろうと思う。感情に流されず、淡々と綴られている
だけに、警察官や医師、看護婦の辛さ。また、遺族のやり場のない
思いが伝わって来る。

尚、この事故の際に出動した歯科医師のお嬢さんが、東日本大震災
際に歯型の照合にあたったという話を聞いた。