国は学ばなくとも国民は学んでいる

『この国は原発事故から何を学んだのか』(小出裕章 幻冬舎ルネッサンス
新書)読了。

日本が地震列島であることは東日本大震災が起きる前から知られた
事実である。しかし、その事実に目をつぶり御用学者を動員し、国策
の名の下、原子力発電所が建設されて来た。

何度も引き合いに出すが、鎌田慧原発列島を行く』には国が、電力
会社が、過疎地の自治体の頬を札束で張って原発を建設して来た
ことが綴られている。

原発のウソ』で安全性・低コストという噓のベールを引きはがし、
分かりやすく解説した著者は、本書でもまた淡々と怖いことを
綴っている。

この期に及んでも原発を生き残らせようとする国と電力会社は
福島第一原発事故の責任さえうやむやにしようとしている。

そして「原発を再稼働させなければ停電するかもしれませんよ」と
いうネガティブ・キャンペーン。事故の反省など全くせずに、自分
たちの資産を守ることだけにその力は向けられている。

冷温停止状態」という妙な表現まで使って、福島第一原発
事故収束宣言を出した日本政府だが、原子炉の状態がまるで
分かっていないのによく宣言出来たものだと思う。

収束しているというのであれば、当時の首相はじめ閣僚は
福島第一原発近くに住居を移してみろよ。勿論、一家総出で。
出来ないはずなんだから。

過疎地だから犠牲になってもいい。そんな理論は通用しない。
都会の人間の生活を支える為に、過疎地の人々の生活を
犠牲にしていいはずがない。

原発がなくとも必要な電力は賄うことが出来る。そうして私たち
は生活の利便性を追求することを止めればいい。

ある地域に住まう人たちの命だけが軽視されていはいけない。
差別から生まれた生活の快適さなんて、放棄したっていい
じゃないか。