不意に奪われた娘と孫の為に

東日本大震災後、遺体となった方たちと向き合った人々を描いた
石井光太『遺体』が映画化された。

話の中心となる民生委員役に西田敏行。これはイメージに合うのだが、
他のキャストを見ると「う〜ん」と感じる人もいる。どうしようかな、見たい
気もするんだが…。

『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』(土志田勇 七つ森書館)読了。

あの事故さえなければ、生花店の店主として過ごし、老後は孫たちに
囲まれてのんびりと過ごせたのかもしれない。

1977年9月27日午後1時過ぎ。米軍の厚木基地を飛び立ったファントム
機は直後にエンジン故障を起こし、燃料満載のまま横浜市の住宅街に
墜落した。

エンジンのひとつが民家を直撃した。そこで犠牲になったのが著者の
娘であり、共に事故に遭遇したふたりの男の子の母であった和枝さん。

幼子ふたりは全身に熱傷を負い、翌日未明に相次いで息を引き取った。
同じように重度の火傷を負った和枝さんは子供たちとは別の病院へ
運ばれ、ここで数十回に渡る皮膚移植と、その後のつらい治療と
リハビリの期間を過ごすことになる。

本書は事故から和枝さんの死後、父が和枝さんが願いながらも叶え
られなかったことを実現するまでを綴った手記である。

平穏に日々を過ごしていた家族が、突然に巻き込まれた悲劇に、
言葉もない。可愛い盛りの孫たちの死、そして、それを母親である
娘に1年4カ月も隠し続けなければならなかった父の胸の痛みは
どんなに鋭かったろう。

子供たちの面倒は家政婦さんが見てくれている。周囲の言葉を
信じて、和枝さんがいるはずのない家政婦さんへ書いた手紙が
切ない。

皮膚移植も成功し、リハビリも進み、仮退院も出来るようになった
和枝さんだが転院先の病院で呼吸不全により事故から4年4カ月後
に亡くなっている。

父は娘の願いを叶えようと奔走する。「子供たちをこの胸に抱き締め
たい」「元気になったら福祉の仕事をしたい」。

多くの困難を乗り越え、妥協を余儀なくされながらも横浜・港の
見える丘公園に「愛の母子像」が完成し、精神障害を抱える
人たちの為の授産施設の開設にこぎつける。

不本意な事故の犠牲になった娘と孫の為に。著者のあふれる愛が、
ここには詰まっている。

尚、公園法に抵触するからと碑文を設けられなかった「愛の母子像」
だが、2006年に当時の横浜市長の判断により像建立の経緯を記した
碑文がつけられるようになった。

忘れてはいけない事故である。この事故だけではない。米軍機は、
何度も住宅街へ墜落している。私たちは記憶に留めておかねば
いけないことだと思う。