闇は闇のまま

「急須で淹れたお茶に近いのは?」。ペットボトル入りのお茶の
CMで確かそんなのがあった。

コンビニエンス・ストアでも、自動販売機でも、いろんな種類の
お茶のペットボトルが売られている。

そのせいもあるのか、急須でお茶が淹れられない高校生が
増えているという。

茶葉と水を急須に入れ「これを火にかければいいですか?」と
聞く高校生もいるとか。

これは極端な例かもしれないけどね。でも、そもそも急須を
使っている家庭がどれほどあるかが問題じゃないのだろうか。

子供の頃、ペットボトル入りのお茶なんかなかったし、朝は
祖母が淹れるお茶で1日が始まった。確か、小学校の家庭科の
授業では「おいしいお茶の淹れ方」も習ったぞ。

食生活が変われば、飲み物の選択も変わって行くのだろうけれどね。
食卓からはいろんなものが姿を消して行くんだなぁ。

『人間の闇──日本人と犯罪)猟奇殺人事件』(一橋文哉 角川
oneテーマ21)読了。

「人を殺して死刑になりたかった」。犯行動機をそんな風に語る
容疑者が増えたのはいつからだろう。思うに、これは動機とは
言えない動機なのじゃないか。

怨みだったり、金銭目当てだったり。分かりやすい動機での
犯行よりも、どうしてそんな犯行に及んだのかが不明な犯罪
が増えた。

そして、年々増えていく容疑者の精神鑑定による減刑

宮崎勤による幼女連続殺人事件は、繰り返される精神鑑定
によっても彼の心を捉えることは出来ず、確たる動機も解明
出来ぬまま宮崎本人は刑死した。

神戸の連続児童殺傷事件も動機は不明。犯人の少年は更生
したとして、既に社会復帰している。

近年の重大事件を例に取り、人間の心の闇を解き明かそうと
しているのが本書なのだが、いかんせん、それぞれで1冊の
本が書けるほどの事件なのでダイジェストの印象は免れない。

「人間の闇」っていうけれど、自分にさえ自分のことが分からない
のだから、起こった事件を元にああだこうだ言っても仕方がない
ような気もするんだよね。

人間、多少なりとも残酷な行動を起こす要素は持っているのだと
思う。その引き金を引くか、引かないかが犯罪者と普通の人たち
との違いかもしれない。