歴史も知らずに通っていた場所

今日は帰りが遅かったので、読書記録だけ〜。

『ライブハウス「ロフト」青春記』(平野悠 講談社)読了。

渋谷屋根裏、新宿ルイード、ラ・ママ、クロコダイル…。10代半ばから
20代にかけて、ライブ・ハウス通いは私の日常生活に組み込まれていた。

なかでも思い出深いのは、西新宿7丁目にあった新宿ロフトだ。

現在は作家として知られる町田康こと町田町蔵辻仁成の両人。漢字で暴威
と書き、氷室京介が「狂介」だった頃のBOOWY。今では珍しくもなくなった
ヴィジュアル系バンドの元祖とも言えるオート・モッド。

陣内孝則が在籍したロッカーズ石橋凌がヴォーカルを務めたARB
解散時にはオリジナル・メンバーがひとりしか残っていなかったルース
ターズ。

多くのアーティストのライブを見る為に、足繁く通ったライブ・ハウスだ。

この新宿ロフトを作り、運営していたのが本書の著者である平野悠氏。
元々は千歳烏山に作ったジャズ喫茶・烏山ロフトが出発点だった。

ジャズからフォークへ、そしてニュー・ミュージックを経てロックへ。
その流れにつれて西荻窪荻窪、下北沢と店舗を増やし、遂に
ターミナル駅・新宿への出店を果たす。

それぞれの店舗が生まれたいきさつ、そこでのアーティストたちとの
交流とライブの裏話満載だ。試行錯誤を繰り返し、新宿ロフトは時
を経ると「ロックの登竜門」とも言われた。

年齢的なこともあって私は新宿ロフトしか知らぬのだが、烏山時代
からの交流を読んでいると、坂本龍一などの今では大御所と呼ばれる
アーティストがなんと多く登場することか。

新宿ロフトの成功で、著者はライブ・ハウス運営に飽きてしまったよう
だが、西新宿にあった市松模様のステージを擁する新宿ロフト
正に私の青春の思い出の詰まった場所だった。

臭くて、息苦しくて、暑くて、何度も酸欠になりかけた。アーティストと
客が騒いで警察に取り巻かれることもあった。それでも、新宿ロフト
は今でも忘れることの出来ない場所だ。

あ…本の感想というより、私自身の回顧録になってる。汗。