「プロメテウスの罠」に挑む

聞いてないよ。なんで死んじゃったんだよ。歌舞伎役者・中村勘三郎
亡くなった。享年57歳。

まだまだこれからの年齢じゃないか。親子の連獅子、もう見られないの
かよ。噓だろう…。来年には新歌舞伎座こけら落としじゃないか。どう
してそれまで生きていてくれなかったんだよ。

先代の元に行くには早過ぎるだろうに…。ご冥福を祈る。合掌。

『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発の五〇〇日』(門田隆将
 PHP)読了。

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故は、安全基準の見直しを
する機会があったのにそれをして来なかった東京電力の罪は重い。

しかし、起こってしまったことはどうにかしなければいけない。本書は
地震直後から福島第一原発の最前線で事態の対応に当たって来た
人々のドキュメントである。

予想を遥かに超える大地震と大津波。全交流電源喪失、そして発電機
の水没。本来であれば制御盤に表示される原子炉の状態も分からない。

1、2号機の中央操作室の当直長や運転員たちは、重装備の上で
何度も原子炉建屋への突入を試みる。

原子炉建屋への注水作業に駆け付けた自衛隊員は、防護服の内側の
線量計が鳴る中、信じられない光景を見る。自衛隊の放水を誘導する為
に、ひとりの職員が外に立っている。

「各班、必要最小限の人数を残して待避せよ」。原発が最大の危機を
迎えた時、当時の吉田所長から部下や関連企業の作業員に退避
命令が出る。

福島第二原発に退避した人たちは、その後、続々と第一原発へと
戻っていく。関連企業の社員は、戻ることを許可いしない社長に
対して涙ながらに懇願する。「行って、手伝ってやりたい」と。

このまま、ここで死ぬかもしれない。そんな極限状態の中で、
暴走しようとする原子炉をどうにかしようとあらん限りの力を
注いだ人たちの証言が満載だ。

原発事故関連の本はあまたあるが、現場の人々が実名で登場し、
あの緊迫した状況の中で、いかに対処して来たかがよく分かる。

そして、改めて当時の首相であった菅直人には呆れた。事故翌日
の現地視察や東電本店へ乗り込んで怒鳴り散らしたことは他の
本にも書かれている。

現地視察の際、出迎えた東電の副社長に挨拶もせず食ってかかる。
免震重要棟へ入る際に「除染を…」と言われれば「そんなことをしに
来たんじゃないっ!」と怒鳴りつける。周りには作業から返った
作業員が大勢いるのに…だ。

「逃げようとしても逃げられないぞ」。本店へ乗り込んで怒鳴り散らした
時には、テレビ会議システムで第一原発にもその声は届いていた。
逃げるどころか、踏み止まって事態に対処している人たちにもその
声は聞こえていた。

アメリカからのプレッシャーでおかしくなっていたんじゃないのか?

本書では菅直人本人にも話を聞いて、言い訳を掲載しているが
どう考えてもあの時の日本は「宰相不幸社会」だったよ。

福島第一原発の事故は人災でもあった。だから、美談とは捉えた
くはない。しかし、その現場には一度は自らの命を捨てようとした
人たちがいたんだよね。