来た、見た、伝えた

今朝は寒かった。これまで来ていたジャケットでは風邪をひくと思い、
厚手のコートを引っ張り出した。

「そのコート、まだ早くない?」

旦那に言われた。お黙りなさい。日本の冬とロシアの冬を一緒にする
のではありません。それに、ロシアだってこの時期に豪雪だったじゃ
ないか。

例年より気温が低い日が続くらしい。あぁ、石油ストーブがあったかい。
幸せ♪

『マロー・ボーイズ 放送ジャーナリストたちの栄光と屈辱』(スタンリー・
クラウド/リン・オルソン NHK出版)読了。

日本でも歴史に名を残すジャーナリストが何人かいる。アメリカを代表
するひとりは、このエド・マローだろう。

マローに記者経験はなかった。そんなマローが、いかにしてアメリカを
代表する記者となり、後進の尊敬や憧れを集めたのか。

アメリカ3大ネットワークのひとつ。CBSの海外特派員だったマローの
仕事は、海外からのラジオ放送の現地コーディネーターだった。

仕事の内容が一変したのは第二次世界大戦の勃発だった。戦場と
なったヨーロッパから、自らスカウトしてきた記者たちと共に戦況を
伝える。

「見たことを言葉で伝えよ」。シャイラー、ブレッキンリッジ、ブラウン、
バーデッド、コリングウッド、ダウンズ、グランディン、ホトレット、
ルスール、セバライド、スミス。マローの信念に共鳴した11人の
記者たちは活躍した時期にずれはあるものの、「マロー・ボーイズ」
として脚光を浴びる。

しかし、彼らの栄光の時期はテレビの登場と共に屈辱の時代へと
変化する。

当初こそ、報道番組に力を入れ「報道のCBS」と呼ばれたネット
ワークも、後にスキャンダルを引き起こすクイズ番組にその重心を
移し、報道番組は徐々に不利な時間帯へ追いやられる。

マッカーシズムが吹き荒れた時代に元凶となったマッカーシー上院
議員を批判した番組「シー・イット・ナウ」に重点を置かれて語られる
ことの多いマローだが、本書ではラジオ時代からマローのみならず、
彼の周りに集まった11人の群像も綿密に描かれている。

マローを太陽として、その周りにあつまった衛星たちは決して団結
力があった訳ではない。嫉妬や裏切り、仲違い、それぞれの家庭の
問題盛りだくさん。

マローとマロー・ボーイズには映像が大きな力を持つテレビには
不向きだったのだろう。彼らはそれぞれに豊富な知識を持ち、
自分の言葉で語ることのできる記者たちだった。

スポンサーの意向と、視聴率に汲々とするネットワークから冷遇
されたのは必然だったのかもしれない。

しかし、ニュースはバラエティではない。日本のニュース番組でも
バラエティの要素が多くなって来た。本当にニュースを語れる
キャスターが、どれだけいるだろうか。

本書は解説を含め580ページの大作。だが、ひとりひとりが本当に
個性的で飽きずに読める。

ニュースが人々を引きつけた時代があった。そして、その時代を
背負った記者たちがいたことを心に留めておきたい。