ふたつの衝撃。そして、立ち上がる

昨日からの雨は明け方には上がっていたが、昼間でどんよりとした
曇り空。その後、晴れ間が見えたけれど日向ぼっこする前に陽が
沈んでしまった。

そして、今週末からさらに気温が下がるらしい。ひと雨ごとに冬が
近付いて来る。それにしても、過ごしやすく気持ちのいい秋は
どこへ行っちまったんだいっ!短いよ、秋が。ここはロシアか。

『生きてやろうじゃないの! 79歳・母と息子の震災日記』(武澤順子/
武澤忠 青志社)読了。

テレビ画面の中のその人は、遺影を抱えて佇んでいた。福島県相馬市。
東日本大震災で大津波に襲われた街だ。視線の先では立ち入り危険と
判定された自宅が、今にも取り壊されようとしている。

胸の抱えた遺影は震災より3カ月前に不慮の事故で亡くなった旦那さん。
不意に、彼女はしわの多い手で顔を覆った。堪え切れなかったので
あろう。漏れ出る嗚咽。

テレビ・ディレクターである息子が、被災した母を追ったドキュメンタリー
番組の書籍化である。お母様である順子さんが、旦那様の死の前から
の日記が元になっている。

「(前略)
広い廊下の自慢の格子作りの天井が剥ぎ取られても
太い丸太の一本柱の梁が揺らぐことはなかった
それでも鉄の爪は丸太を持ち上げた後は
すべての家の形は音をたてて崩れ落ちた
まるで……自分の手足が切り刻まれているのを見るようで
辛く……苦しい……
抜けるような青空だったのに白い雲が寄ってきた
孫悟空」みたいにお父さんが雲に乗って
家の最期を見届けに来たのかな……
(後略)」

「お父さんの1回忌がすんだら自分も行くから」。52年を連れ添った
旦那様を失った哀しみも癒えぬ間に襲った大津波。そして、旦那様
が愛した自宅も失うことになる。

帰れるはずのない自宅の片づけを続けながら、時には生き残った
ことを後悔する。それでも、娘夫婦や息子夫婦、孫たちに見守られ、
79歳の母は生きることに向かって立ち上がる。

生きてやろうじゃないの!と。

順子さんは物書きではない。それでも、彼女が大きなふたつの出来事の
間に綴った日記は、どんな作家が書いたものより心に響く。

「おーい雲よ……
あの日の雲ではないだろうけど
あの日の私でもないんだよ
この二百数十日……
しっかり生きてきたんだよ
上を見ても切りがないし
下を見ても切りがない」

津波に襲われた同じ場所に、順子さんの家は再建された。そこで、先祖と
旦那様の位牌を守って彼女は生きている。

雲に乗った旦那様は、今日もあなたの元を訪れていますか?