ナルシシズムの終着点だったのか

昨夜は新橋演舞場で11月大歌舞伎の鑑賞だった。勿論、目当ては
仁左衛門。この人が出てなきゃ行かないんだけどね。

遅くなったので夕食は自宅近くのファミリー・レストランで済ませた。
ファミリー・レストランにしては静かだなと思って周りを見回す。

多いねぇ、スマートフォンに夢中な人。家族連れでも親ふたりは
スマートフォンや携帯電話の画面を見つめ、一緒にいる子供は
ゲーム機の操作中。そんな食事、楽しいのか?

小学生の頃、我が実家では夕食の時間はテレビ禁止だった。
祖父母に父母、私たち姉妹3人に父の手元で働いていた若い衆。
皆、それぞれにその日のことを話しながら食事をしたのを思い
出したよ。

『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』
中川右介 幻冬舎新書)読了。

事件自体はほんの数時間の出来事だった。しかし、その事件の発生は
各界に大きな衝撃をもたらした。

日本を代表する作家であり、ノーベル文学賞受賞の可能性も取り沙汰
された三島由紀夫は自身が主催する民兵組織「盾の会」会員を引き連れ、
自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れた。

三島と自衛隊は近しい関係にあった。だが、この日の訪問は穏やかには
終わらなかった。

東部方面総監を人質に取り、自衛隊員にクーデターの決起を促す
演説を行う。三島の演説には自衛隊員からのヤジが飛ぶ。

これだけでも充分な大事件である。その後、三島は自衛隊員が彼と
一緒に立とうとしないことを確認し、切腹という方法でこの事件の幕
引きをする。

その日、昭和45年11月25日。三島由紀夫と盾の会の事件は、当時の
著名人、またその後、世に出ることになる著名人にどんな衝撃を与え、
何を残したのかを時系列で綴ったのが本書である。

膨大な資料を駆使して120人の事件の受け止め方を描いており、
この事件を検証した類書とは趣を異にしている。

今、「11月25日」といってもすぐに三島由紀夫と盾の会事件と答える
ことが出来る人は少ないだろう。あの日に何が起きていたのかを
追体験するにはいい。

事件検証の資料は何冊か読んだが、結局、三島由紀夫が何を思い、
このような行動に出たのかは分からなかった。

もしかしたら、クーデターなんて当の三島自身も可能だなんて思って
いなかったのではないか。あの日、東部総監室の赤い絨毯の上で
切腹し、死に至ることは彼が夢見たナルシシズムの終着点では
なったのだろうか。

「三島は季節を間違えたな。桜の季節にやるべきだった」

寺山修二が「天井桟敷」のメンバーに言ったという言葉が印象的だった。
そう、何故、11月だったのだろう。桜の舞う季節だったのなら、その死は
また違った印象を残したのかもしれない。

三島さん、いや、公威さん、おもちゃの兵隊に囲まれて、あなたは自分の
理想とする死に方で死んだのですか?