銀座を愛し、柳を愛した人

東日本大震災津波で漁業関連施設が大きな被害を受けた女川町。
そこへ中東・カタールから大型冷凍施設がプレゼントされた。

あ、有難う〜〜〜、カタール。なんて太っ腹なんだ。これで魚の水揚げ
も加工も出来るようになるね。

本来であれば中東から支援してもらう前に、我が国が復興予算でやる
べきことなんですけどね。しつこく言いますが、なんでこういうことに
遣わないんだよ。

『流行歌 西條八十物語』(吉川潮 ちくま文庫)読了。

満員の映画館に主題歌が流れる。その時、客席からは大合唱が起こる。
今じゃ考えられないが、誰もが同じ歌を知っていた。誰もが同じ歌を歌えた
時代があった。

映画は「青い山脈」。主題歌も同名だ。作詞したのは西條八十。フランス
文学の研究者でありながら、多くの童謡、流行歌、軍歌を書いた人だ。

リアルタイムで聴いた訳でもないのに、彼が作詞した歌は結構歌える。
上記の「青い山脈」は勿論、「東京行進曲」「愛染かつら」「同期の桜」
「かなりあ」「肩たたき」等々。

ゲイシャ・ワルツ」は子供の頃に歌って怒られた記憶がある。今なら
分かる。あれ、子供が意味も知らずに歌っちゃいけないよね。

詩人でありながら童謡や流行歌を多く生み出したことで詩壇では八十
への批判も起こった。

詩人でありランボー研究者でもあった八十が何故、俗な歌を作るように
なったのか。それは、関東大震災で東京が壊滅的な打撃を受けた夜
だった。

兄一家の安否を気遣う母の為、一家の住いに向かう途中、不穏な噂の
為に避難した上野の山で一夜を明かすことになった。

方々から火の手が上がり、持てるだけの荷物を持って非難して来た
人たちで溢れる上野の山。そこで聞こえて来たのは、ひとりの少年が
吹くハーモニカの音色だった。

「こんな時にハーモニカなど吹いたら」。心配する八十の思いとは
裏腹に、人々は何も言わずにハーモニカの音色に耳を傾けていた。

それは恐怖と不安で一夜を明かす人々になにがしかの慰めを与えた
ようだ。そうか。だったら、自分は人々の心を和ませる歌を書けばいい。

しかし、昭和は暗い時代へ突入する。早稲田大学の教授として教え子
を戦地へと繰り出さざるを得なかった八十は、著名な作詞家として今度
は軍部から戦意高揚の歌の依頼を受けることになる。

江戸っ子で、銀座の街を愛し、銀座にまつわる歌を多く生み出した八十。
彼が愛した銀座の街も今ではすっかり様変わりした。街路から柳の姿
が消えても久しい。

現在の銀座を見たら八十はどう思うであろうか。それでも、愛した街の
昔を懐かしんで銀座の歌を書いてくれるだろうか。

芸人一代記の作者として名高い著者だが、名付け親は西條八十だった
のだね。小説仕立ての評伝は八十への愛が溢れている。

尚、昭和の歌姫・美空ひばりとのエピソードは八十の優しさが伝わって
温かいし、歌詞にダメ出しする軍人に「てやんでぃ。だったら自分で書き
やがれ」(こんな言い方ではありません)と言い放つ八十には奇骨を
感じる。