大阪ジャーナリズムは息づいているか

2日連続で遠方の友人と長電話をしていた。気が付いたら日記を
更新する時間がなくなっていた。

妄想が妄想を生んで、話は留まるところを知らなかった。そして、
何がきっかけでそんな話題になったかさえ、お互いに覚えていない
くらい最後の話はとりとめもなかった。

電話はあまり好きではないけれど、たまにはいいもんだな。

黒田清 記者魂は死なず』(有須和也 河出文庫)読了。

数日前、新聞の書籍広告で、長らく絶版だった本田靖春『私戦』が版元を
替えて発行されているのを知った。

しかし、哀しいかな。ここは埼玉県。新聞に広告が出たからといって早速
新刊書店に行っても置いていないことがほとんど。

ところが昨日である。期待もしないで立ち寄った新刊書店で文庫棚を見る。
あ、あるっ!『私戦』があるではないかっ!

読売新聞在籍当時、「東の本田、西の黒田」と並び称されたふたりである。
黒田氏の評伝を読んでいた縁なのか。黒田氏が私を書店に誘ってくれた
のか。普段は「偶然」で片づけちゃうんだけれど、今回はなんとなく不思議な
気持がしたぞ。

さて、本書である。大阪読売の社会部で「黒田軍団」を率いた伝説の記者・
黒田清の評伝である。その生まれから臨終までをエピソードてんこ盛りで
描いている。

自民党御用新聞になる以前、大阪読売は独自色を打ち出した社会面
が売り物だった。それをしかけたのが社会部長であった黒田であり、彼を
信奉した記者たちであった。

黒田が維持したのは弱者の視点である。差別や障害に苦しむ人々の
立場で記事を発信し続け、読者との絆を大切にする。

しかし、大阪独自の紙面作りはいつしか東京本社からうとまれるようになる。
その陰にあったのは渡邊恒雄の台頭であった。

黒田氏が退社を決意するまでの読売新聞のやり方はかなり卑劣である。
それは、東京の本田靖春がやはり退社するきっかけになった時も同様だ。

そして立ち上げた「黒田ジャーナル」は大阪ジャーナリズムを象徴した。
だが、そんななかで黒田氏は癌に倒れる。

まだまだ伝えたいことがあったろう。書きたいことがあっただろう。一度は
癌から生還するものの、再発から臨終まではあまりにも短期間だった。

同じく大阪読売に在籍した飯干晃一も既に鬼籍に入り、本田靖春も彼岸へ
旅立ち、筑紫哲也も亡くなった。黒田を取り巻いた彼らのエピソードも
満載である。

尚、黒田氏が亡くなった時、他紙はその死を大きく扱ったが出身母体で
あった読売新聞はベタ記事扱いだった。

見下げ果てた新聞だよ。フンッ!