心優しき隻眼のチャンプ

『昭和のチャンプ たこ八郎物語』(笹倉明 集英社文庫)読了。

夕刊紙だったかスポーツ紙だったかは忘れたが、大きな見出しは
今でも覚えている。

「たこ、海で溺死」

コメディアン・たこ八郎の訃報を伝えるものだった。たこさんが海で
なんて、なんて出来過ぎた話だろうと思った。

たこ八郎こと、斎藤清作。コメディアンになる前はプロ・ボクサーだった。
そんなことさえも知らず、テレビ・ドラマでの彼のコミカルな動きが好き
だった。

本書はたこ八郎のボクサー時代をモデルにした小説『天の誰かが好いて
いた』に大幅加筆をして文庫化された作品だ。

子供の頃にガキ大将にぶつけられた泥玉が原因で、左目の視力のほとんど
を失う。この出来事が後の彼のボクシング・スタイルに影響する。

「喜劇役者になりたい」

そう思った清作少年は、実家の農業を嫌って高校卒業と同時に上京する。
銀座の宝飾店に就職するも居心地の悪さはいかんともしがたい。

少しでも芸能界に近い所へと思って探した仕事は映画館へのフィルム運び。
その途中でボクシング・ジムを覗いたことから、プロ・ボクサーへの道が
開ける。

片目が見えないハンデを克服する為に、対戦相手のパンチをかわすことなく
受ける。相手が打ち疲れたところで反撃に出るスタイルを確立する。

漫画「あしたのジョー」のノーガード戦法のモデルとなった戦い方だ。しかし、
この戦法は頭部へのダメージが強い。

そして、全日本フライ級王座に輝いたもののパンチ・ドランカーとなった彼は
3日目の防衛戦に判定負けを喫して引退することとなる。

チャンピオンとなった彼が抱えた闇のような不安、ボクシングを続けること
への嫌悪感、自分の体が変化していることへの恐怖。それが、切なく苦しく
伝わって来る。

本書はボクサー時代を中心に書かれているので、引退後から死までには
詳細には触れていない。でも、それで充分なのかもしれない。

引退後に同じ東北出身だからと喜劇役者の大御所・由利徹に弟子入りする
も、パンチ・ドランカーの後遺症である排泄障害・言語障害に苦しみ、わずか
半年余りで去る。

その後、消息不明になりながらもコメディアンとして多くの人に愛された。
そうして、そんな人気の中で酒を飲んで海に入り帰らぬ人となった。

「迷惑かけてありがとう」

東京・下谷法昌寺赤塚不二夫らが建立した「たこ地蔵」には、たこさんの
座右の銘が刻まれている。

昭和60年7月24日。44歳にて永眠。もしかしたら、海は彼にとってゆりかご
だったのではないだろうか。