世界から見捨てられた戦場で

今日も今日とてロンドン・オリンピックのダイジェストを見ている。

水泳陣のメダル・ラッシュに比べたらいけないのだけれど、苦戦して
いるね日本柔道は。

そうしたら、またしゃしゃり出て来た人がいる。なんの政治信条もなく
政治家になった元女性柔道家のセンセイだ。

「皆様が望むなら復帰も…」だって。皆様って誰?誰が望んでるの?
次の選挙が危うくなったから次の手をってこと?もう全盛期は終わった
でしょうに。

政治家になった時、「スポーツ振興の為に尽力したい」なんて語って
いたけれど、スポーツ振興予算はばっかりカットされました。あなたは
何をしていたのかなぁ?

現役時代、他の選手よりも恵まれた環境にいた人が何を言うかと
思ったんだけれど、この人はずっとこのまま勘違いしたまま生きて
行くんだろうな。はぁ…。

『手術の前に死んでくれたら ボスニア戦争病院36カ月の記録』
シェリ・フィンク アスベクト)読了。

「命を救う時間を与えろ!」

第二次世界大戦ノルマンディ上陸作戦を描いた映画「プライベート・
ライアン」の冒頭は、オマハ・ビーチの場面から始まる。そこでの衛生兵
の台詞だ。

生と死が隣り合わせの戦争。敵の命を奪うことが目的の場所で命を救うことに
賭けた人たちもいる。

1992年、ユーゴスラビアの解体の中でボスニア・ヘルツェゴビナの内戦が
勃発した。3つの民族が対立し、内紛は民族浄化に向かって惨状を呈して
いく。

本書が取り上げるのはボスニア東部の街・スレブレニツァにある病院での
医師や看護婦、国境なき医師団の活動だ。

ボスニア勢力に周囲を包囲されたイスラムの街には、何もかも足りない。
その病院へ戦闘で負傷した兵士、地雷で傷ついた市民が運ばれて来る。

緊急に手術が必要だ。だが、手術を執刀するのは外科医ではない。内科
を専門とする一般医だ。

麻酔薬はない。感染症を防ぐ抗生物質もない。輸血したくとも輸血用血液
がない。例えあったとしてもその血液を保存する冷蔵庫が稼動していない。

「手術をする前に、どうか死んでください」。既に化膿が始まった患者の
足の切断手術を前に、医師は神に祈る。彼の手には切断の為のノコギリ
が握られている。それは、手術用ノコギリではなく金属を切る為のP型
ノコギリだ。

ある医師は自分の生まれ育った街を守る為に銃を握り、ある医師は自ら
と家族が生き延びる為に街を後にする。

国際機関の援助も多くの難題にぶち当たり遅々として進まない。そして
先進国をはじめとする国際社会は、自分たちに何の利益ももたらさない
地域での紛争を長い間、見て見ないふりをしていた。

ボスニア紛争を理解するにはイスラム側からの記述だけなので不向き
だが、戦場での医療行為の実態を理解するにはいいかも。

「制裁措置なんて、本当に恥ずかしいことだ。集団処刑だ。とても残虐で、
そのくせ効果はない。病める人々を、貧しい人々を、奴隷のようにこき
使い殺すだけだ。親玉を肥らせるだけだ。制裁措置なんて、政治的武器
としても役に立たない。ただ社会構造をじわじわと、しかも確実に徹底的
に破壊してしまうだけだ」

国境なき医師団の、ある医師の言葉だ。考えさせられる。