栄光は混迷への序章
一般公募の原発意識調査の参加者のなかに、電力会社の幹部が
混じっていたからさぁ大変。
所属している会社までは確認していないのだから仕方がないこと
だろうが、あの場で「電力会社の立場で…」って発言出来るのは
ある意味凄い。
電力会社の立場もあるだろうが、そこは電力会社の発表の場では
ありませぬ。空気読めよ。
会社の指示ではないようだが、あの場で会社の立場で発言することを
容認したのはどうなのよ?
九州電力のやらせ事件は他山の石なのか。はぁ…。
『ザ・フィフティーズ<下>』(デイヴィッド・ハルバースタム 新潮社)読了。
音楽シーンではエルビス・プレスリーが、スクリーンではマリリン・モンローと
ジェームス・ディーンが若い世代の心を捉える。
50年代、アメリカには豊かさが溢れていた。ラジオに変わってテレビが
家庭に浸透し、テレビ・コマーシャルには魅惑の商品が溢れ、ホーム・
コメディでは理想的な家族が描かれる。
GMはアメリカ最高峰の自動車メーカーとして君臨し、女性が自分の体を
自分の意志で守れるようピルが解禁となる。
栄光と繁栄のアメリカの50年代は、一方で黒人たちが立ち上がった時代
でもあった。人種隔離政策は意見であるとの最高裁判決が出されたにも
関わらず、南部諸州では白人と黒人との間の壁は以前存在していた。
ひとりの黒人女性の抵抗から始まったバス・ボイコット運動、白人学校
への黒人生徒の入学許可。自分たちのテリトリーに黒人を入れまいと
する白人たちの暴挙は、人間の一番醜い部分を集約されているようだ。
そんな白人たちの醜い姿をあますところなく映し出したのは、やっぱり
テレビだった。メディアの変革もこの時代だ。
公民権運動に大きな役割を果たしたテレビであるが、一方で映画にも
なったクイズショー・スキャンダルも生み出した。
CIAはグアテマラでのクーデターをしかけて成功したものだから、調子に
乗って今度はキューバでもクーデターを引き起こそうとする。結局は
失敗しちゃうんだけれどね。
第二次世界大戦後に一躍世界のリーダーとなったアメリカは、リーダー
にふさわしい栄光と繁栄を謳歌する。しかし、それは混迷の時代への
序章ではなかったか。
ローマ帝国は1000年の繁栄の後に消滅した。50年代後半、大統領を
務めたアイゼンハワーに代わり、60年代、ケネディが登場する。
わずか10年、されど10年。政治、文化、科学、風俗…すべてを網羅し
て描かれた本書は壮大なドラマだった。