二人三脚。組む相手は?

『官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪』(牧野洋 講談社
読了。

軍産複合体をもじったのが本書のタイトル。副題といい、帯の惹句と
いい、かなり扇情的なのだが中身は著者の経験をベースとして、
冷静に日米の新聞報道の相違点を論じている。

この点で上杉隆のヒステリックな記者クラブ批判とは大違い。
加えて本書では上杉がしきりに絶賛するニューヨーク・タイムズ
権力に与した報道とその後の同紙の検証記事にも触れている。

上杉隆を妄信している向きには本書の一読をお勧めしたい。彼は
手放しでアメリカ・メディアを礼賛しているので、騙されるなよ。笑。

さて、本書である。日米の新聞記事の違いについて一番分かりやすい
のが、著者が日本経済新聞に在籍したまま、コロンビア大学大学院
ジャーナリズムスクール留学中の出来事だ。

日本人補習学校へ出向き取材したことを原稿にする。指導教官に
提出したところ、「これでは記事として成立していない」と突き返される。
取材した先は校長や教師。これでは「権力側」にしか話を聞いていない
ことになるからだ。

後日、著者は再度学校に赴く。今度は授業を見学し、子供たちに話を
聞く。そして出来上がった原稿はOKをもらう。

よしっ。これなら日経の英文サイトにも掲載できるだろう。会社に送った
ところ、子供たちへ取材した部分がばっさりと切り取られサイトに掲載
されていた。

誰に話を聞き、誰に向けた記事なのか。日米の違いはこんなところに
も存在する。

語学の才能がないので英字新聞が読めないのが残念なのだが、
日本の新聞に限って言えば本当に「発表報道」が多い。「警視庁に
よると・・・」とか「政府は…」とか。

それに対し、誰がどう感じているなんてないものなぁ。新聞ではないが、
テレビ・ニュースで「○○(テレビ局名)の取材で分かりました」なんて
フレーズをよく聞く。「ほぅ、それは誰が誰に聞いて分かったのかね?」
なんてテレビに向かって突っ込んでいることがあるのだが。笑。

その報道は誰の為?誰が誰に何を伝えたいの?権力側の発表を
垂れ流すだけしか能がないのなら、それは報道ではないのだよね。

「新聞は情報を読者に届けるためだけに存在する。他に理由はない。
読者にとっての新聞の価値とは何か。いま何が起きているのかについて
真実を明らかにし、きちんと伝えること。これに尽きる。
 広告主などからの圧力で伝えるべきニュースを伝えなくなったら、
新聞は広告主も含め誰にとっても何の役にも立たなくなる。読者を
すひなってしまうからだ。」

ウォールストリート・ジャーナルの親会社社長キルゴアが、同紙が
自動車メーカーGMの逆鱗に触れた時の言葉だ。

広告主と闘える新聞社は、日本にあるのだろうか。ないだろうな…。