未熟者たちのお祭り騒ぎ

「再稼働が決まるまで反原発で行くんでよろしく」

大阪市長の人が、民主党の口先番長・前原氏にそんな文書を
送ったとか送らなかったとか。

さもありなん。見事な茶番ではないか。反原発を利用しているのでは
ないかと疑ってはいたが、やっぱりね…てな感じだ。

もうねぇ、この人の言うことは本気じゃないんだよね。ぜ〜〜〜〜んぶ
パフォーマンス。顔は大阪市民にではなく、民主党に向いているって
ことでいいですか?

最近、政治ネタに事欠かないなぁ。それも悪い話ばっかり。はぁ〜。

『高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言』(小林哲夫
 中公新書)読了。

「高校生は政治活動をしてはいけません」。本書を読むまでそんな
文部省通達があったことさえ知らぬ世代である。

制服の廃止、生徒心得の廃止、受験対策授業への反発。そして
巷に蔓延していた政治的関心の大きさは、高校生にも波及した。

しかし、高校紛争は大学紛争のように長期化しなかった。何故か。
活動に熱心だった学年が卒業することで終焉に向かった学校も
あった。機動隊の導入という実力行使で鎮静化された学校も
あった。

また、過激化する活動や大学生同様の内ゲバの発生で一般生徒の
共感を得られなかった学校もあった。

それが高校紛争が歴史の影になってしまった要因なのだろう。
本書はそんな埋もれた歴史を、当時の関係者への聞き取りや
各高校の学校史、多くの資料に当たって掘り起こした良書だ。

当時を知らぬ者から見れば、紛争が頻発していたのはエリート校に
多いので「頭でっかちがお祭りごっこをしていただけではないのか」
との感想を抱いてしまう。

実際、「バリケードを築いたりするのが楽しかった」との回想もある。
そして彼らが無意識のうちに持っていたであろう特権意識と、実業
高校を見下したような思想には嫌悪感さえ与える。

同じ時期、日本返還前の沖縄の高校でも紛争があった。だが、それは
「当事者」としての紛争であり、本土の高校生が熱病に罹患したように
反戦や安保のデモに参加したことは趣を異にしている。

以前、東大安田講堂に立て籠もって機動隊と対峙した当事者の
回顧録を読んだ。その時、「これは「戦争ごっこ」をしていたことを
美化していないか?」と思った。

大学生が「戦争ごっこ」なら、高校生は「お祭り気分」だったのだの
だろうか。

自治を求めて学校側に要求を突きつける気持ちは分かる。実際、
私も高校時代に同じような要求を掲げたことがあった。だが、それが
ゲバ棒・ヘルメットで武装し、火炎瓶や石を機動隊に投げつけると
なると話は違う。

反戦」を叫んでデモをする一方で、武装闘争する矛盾に気付く
ことはなかったのか。機動隊は権力の象徴かもしれないが、
隊員ひとりひとりは誰かの子であり、被搾取階級の出身なのだ。

さて、高校紛争は学校教育に一石を投じられたのか。結果は
「何も変わらない」ではなかったのだろうか。