地元紙だからこその葛藤もある

オウム真理教の元信者・菊地直子容疑者が逮捕された。昨夜の
ビッグ・ニュースである。

教団幹部ではなかったのだから、逃亡さえしなければよかった
のになぁ…と思った。17年間、疲れただろうに。

「生きていてよかった」。ジャーナリスト・江川紹子のコメントに
温かさを感じた。凄いよな、この人のバランス感覚は。

今後、法廷で菊地容疑者が何を語るのか。注目して行きたい。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(河北新報社
 文藝春秋)読了。

仙台に本社を置き、東北地方をカバーする地方紙・河北新報
2011年3月11日の東日本大震災の際に自社の組版サーバーが
稼動しなくなる。

それでも創刊以来の新聞発行を止めることは出来ぬ。災害時の
協定を結んでいる新潟日報の力を借りて、震災当日の夜には
号外を発行し、翌日には朝刊の発行にまでこぎつける。

ライフラインが寸断され、テレビもラジオもインターネットも使えない。
震災と津波の情報を一番必要としている人たちに、なんとしても新聞を
届けなくては。

阪神淡路大震災の時、やはり被災した神戸新聞の奮闘を綴った
作品があった。あちらも秀逸だったが、今回の河北新報も負けて
いない。

「自分たちは頑張りましたっ!」だけだったら鼻白むものになっていた
だろうが、地元紙として被災者に寄り添うことから生まれる葛藤も
正直に書いている。

なかでも印象に残ったのは、福島第一原発事故後に社命で福島県から
避難するように言われた女性記者の話だ。実家のある佐渡へ避難し、
そこから被災地の首長に電話取材をするのだが、電話の向こうの声は
「記者なんだから電話で聞かないで見に来い」と彼女に怒鳴る。

どんなに悔しかったろうと思う。その場に留まりたい。でも、放射能
影響を受けやすい年若き女性として留まる事を許されぬジレンマ。
原発事故後、さっさと福島を離れた大手メディアの記者はどう思う?

尚、震災当日、揺れがおさまった後に「配達に行って来い。読者が
待っている」と息子に言い、その後津波の犠牲になった販売所所長の
話は心に痛かった。

全国紙から震災・津波の記事がなくなってからも河北新報は検証
記事の連載を続けている。新聞メディアの衰退が著しい昨今、
全国紙よりも地方紙の時代になるのかも知れない。