科学と人間の残酷さ

福島県浪江町福島第一原発事故の避難区域に指定されている
町である。この町に一時帰宅した男性が行方不明の末、遺体で
発見された。

父から受け継ぎ一家で営んでいたスーパー近くの倉庫で自死して
いた。「避難場所へは帰りたくない」と家族に漏らしていたという。

原発擁護派は「原発事故で死者は出ていない」と言う。本当にそう
言えるか?

事故発生直後、有機農家の方が自死している。その後も高齢者が
避難する家族の足手まといになりたくないと、自ら命を絶つ道を
選んだ。

この人たちは確かに原発事故の犠牲者である。原発擁護派のみ
ならず、政府、東京電力は肝に銘じて欲しい。

『父さんのからだを返して 父親を骨格標本にされたエスキモー
の少年』(ケン・ハーパー 早川書房)読了。

「ホッテントット・ヴィーナス」と呼ばれた女性がいた。18世紀の頃
である。現・南アフリカ共和国に住むコイコイ族のサラ・バートンは
イギリスへ行けば金持ちになれると騙されて、イギリスへ渡った。

しかし、彼女を待っていたのは金持ちの生活どころではなかった。
その身体的特徴を見世物にされたのだ。

天然痘に罹りフランスで亡くなっているのだが、死後さえも安らか
ではなかった。遺体は解剖され、その一部はホルマリン漬けにされ
パリの自然史博物館に展示された。

彼女の体が故郷に戻れたのは2002年になってからだった。

本書を読んでいて、そんな話を思い出した。そして、こちらは
北極からニューヨークに連れて来られたエスキモーの少年の
話である。

一緒にアメリカに渡った6人のうち、父をはじめとした4人が病死し、
ひとりは北極へ戻った後に残されたのは少年ミニックだけだった。

研究の端緒についたばかりの人類学の為に、ニューヨーク自然史
博物館で研究材料にされたのに、ひとりぼっちになったミニックの
将来をどうするのか。彼らは責任逃れをするばかり。

そうして病死して埋葬されたはずの父の遺体が骨格標本にされ
博物館に展示されていることが分かる。

科学は人類に様々なものをもたらした、しかし、その裏側には
人種差別に基づいた人権の無視があったことも忘れてはならぬ。

孤児同然になりアメリカで12年を過ごしたミニックは、やっとのこと
エスキモーの世界に帰ることが出来るのだがそこさえも彼には
安住の地ではなかった。

エスキモーの世界と白人の世界。ふたつの世界の狭間で引き裂か
れた人生は、ミニックを根なし草のようにしてしまった。

どこにも居場所がない。そんな一生を歩ませてしまった科学と
人間は、やはり残酷なのだよな。