妄想の犠牲者は膨大

毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958▼1962』
(フランク・ディケーター 草思社)読了。

妄想するは楽しい。暇さえあれば妄想して楽しんでいる。個人の範囲で
楽しんでいる分にはいいが、これが一国のトップに立つ人間の誇大妄想
となると途轍もない悲劇が起こる。

蒋介石の国民軍を台湾に追いやり、共産主義の道を歩み始めた毛沢東
の中国で起きたことが正にこれだ。

スターリンに軽んじられたことが原因なのかは判然としないが、旧ソ連への
対抗意識から毛沢東の中国は独自路線を突っ走る。

ソ連の対抗相手がアメリカなら、中国は「イギリスに追い付き追い越せ」。
農業から工業まで、到底達成出来ない数字を弾き出し、産業も経済も
とことんまで落ち込む悪循環が始まる。

灌漑工事だ、ダム工事だ、と言って農民を工事に駆りたて収穫期を逸した
作物は田畑で枯れていく。それでも「ノルマ以上の収穫がありました!」
なんて報告するから、国は益々買い上げ量を増やす。

「鉄の増産だ〜」と言っては、鍋・釜の調理器具はもとより農機具までも
溶鉱炉に放り込み、結果、手作業での農作業は効率が悪くなる。

国内では食うや食わずで国民が労働に駆りたてられているのに、共産
圏の同盟国には輸入してまで食糧援助をする。

「これは性質の悪いブラック・コメディか」の連続なのである。すべては
毛沢東の思いつきで始まったのに、悪い報告が耳に入ると機嫌が悪く
なる毛おじさん。本書を読んでいると、あのスターリンでさえ可愛らしい
と錯覚させられる。

「飢饉は3年間の自然災害のせいです」。共産中国の言い訳は飛んでも
ない大噓なのである。

著者が推測するこの時期の死者数4千5百万人也。餓死はもとより、
暴力によるものや自殺者も含まれている。これだけの国民を死・に
至らしめた毛沢東を批判することは、中国最大のタブーである。

ソ連ではフルチショフがスターリン批判を行った。いずれ、中国でも
毛沢東批判を行う党幹部が出て来るのだろうか。