哀しいけれど重さの違いはある

アフガンの基地でコーランを燃やしてイスラム世界の反感を買ったのに、
今度は米兵が銃を乱射だ。しかも暗視ゴーグルを着用し、民家で…である。

「2歳半の子が殺された。この子がタリバンだとでも言うの」

アフガンの女性が言っていた。一体、何をしているのだ?アメリカ軍よ。
この兵士は、自国でも同じことが出来るか?きっとしないだろう。

自分たちの都合のいいように他国を変えようとする過程で、その国の人たち
の命まで好きにしていいとでも思っているのか。間違ってるぞ、そんなの。

命の重さに違いはない。でも、現実には重さの違いがはっきりと存在して
いる。

『死んだ金魚をトイレに流すな』(近藤卓 集英社新書)読了。

え?なんで金魚が死んだらトイレに流すの?なんで飼い猫の餌にしちゃうの?
いくら集合住宅だからって、それはないだろう。

子供たちに「いのちの教育」「死・の教育」をするにはどうすればいいかが
テーマなのだが、上記の大人の行動が私には衝撃だったな。

人間を含め「生き物」を「ただのモノ」として扱うことは、おかしな生死観を
植えつけることになるんじゃないのか。だから、「死ぬ」ということが分から
ない。人に危害を加えることに疑問を持たない。

エスカレートするいじめ、それに起因した自殺、他者への暴力。想像力の
欠如と、命の大切さへの無知。それは子供だけに限らない。だって、子供
の世界は大人の世界の縮図なのだから。

最近、介護福祉施設での利用者への暴言・暴行が問題視されている。
身体の自由が利かない人でも、高齢者特有の症状を抱えている人でも、
それは命を全うしようとしている「生きている人間」なのである。

子供に「いのちの教育」が重要なのは勿論だが、大人も今一度、考えて
みる必要があるのではないか。

他者の痛みを自分の痛みとして想像出来るのであれば、「誰でもよかった」
なんていう無差別殺人だってなくなるのではないか。

人を殺してはいけません。それは理屈ではなく、ダメだからダメ。著者の
意見に賛同する。でも、日本って国は国家が人の命を奪う国なのだよな。

本書は道徳を説教臭く説くのではなく、著者のいじめ体験を基調にして
日常生活のかなでの子供との接し方等で優しく説いてくれる。