風化させてはいけない

今日は3月10日。67年前に東京大空襲で、首都・東京が焼け野原に
なった日。焼夷弾による火災で、多くの人が焼け死んだ日。

でも、メディアはどこも東日本大震災のことばかり。明日で1年となる
から仕方ないのかも…とも思う。

しかし、こうやって記憶は風化して行くのかな。どこかひとつでもいいから、
東京大空襲を取り上げて欲しかったのだけれど。

一昨年・昨年と、3月10日は出勤日だった。派遣先の建物の前を流れる
隅田川に向かって手を合わせた。

今日は休日。生憎の雪だったけれど、あの大空襲の夜を逃げ延びた祖母と
父の墓に向かって来た。

『震災死 生き証人たちの真実の告白』(吉田典史 ダイヤモンド社)読了。

ハンドマイクを握り締めた姿のまま、遺体となって発見された消防団員。
防災無線で避難の呼びかけを続け、津波の犠牲となった自治体職員の
女性。彼ら・彼女らの死を「美談」として取り上げるメディアが多い。

しかし、美談だけで終わらせていいのか。何故、多くの人が犠牲になった
のか。2011年3月11日に、被災地では何が起こっていたのか。それを
検証せずには前に進めない。

三陸沿岸は日本でも有数の津波多発地帯である。津波に対する避難
訓練も日常的に行われ、津波対策としては立派な防潮堤・防波堤も
備えていた。

それが却って、津波に対する考えを甘くしていたのではないかとの
問題提起をしている。「想定外」。この1年、散々聞かされて来た言葉
だ。しかし、いくら想定を見直してもそれはあくまで一定の目途でしか
なく、想定が安全基準ではない。

「(第2次世界タン世以降)66年間、平和であったから、政府や国民が、
”憂いなければ備えなし”の意識になっている。本来、危機管理は
”備えあれば憂いなし”であるべきなのだが、政府も国民も憂えてい
ないから、備えない」

「憂えていないから、備えない。備えていないから、(危機に)気がつか
ない。気がつかないから、(一段と)備えない」

自衛隊のヒゲの隊長こと、参議院議員佐藤正久氏の言葉に胸を
突かれる。遺族のひとりも言っていた。「平和ボケだった」と。

あの日、どうしてあれだけの犠牲者が出たのかの検証を怠っては
いけない。そんな問題提起をしている本書なのだが、この人の文章って
読んでいると時々イラッとするのは何故だ?