危機を支える

福島第一原発の事故直後、退避地域から避難して来た子供に対し
放射能が移る」などのいじめがあった。

あれから間もなく1年が経つのだが、ここへ来て避難先の地域の
保育園から被災者の子供が入園拒否にあう事態が発生している。

「絆」は昨年の漢字に選ばれたのではなかったか。そっちこっちで「絆」
を強調して来たではなかったか。

焼き肉店を経営するお笑い芸人が被災地の瓦礫受け入れをtwitter
支持した。ただそれだけなのに、炎上・店舗への中称へ発展した。

海外メディアは日本人の美徳を報じてくれた。でも、それだけではない
面が続々出て来ている。あの日から1年、考えることは増えた。

昭和天皇と美智子妃その危機に 「田島道治日記」を読む』(加藤恭子/
監修:田島恭二 文春新書)読了。

昭和の大恐慌があった。愛知銀行の常務だった田島道治日銀総裁
あった井上準之助が設立した昭和銀行頭取に任命され、最大の金融恐慌
を乗り切りった。

その手腕を買われたのだろう。先の大戦後、初代の宮内庁長官に就任する。
皇室最大の危機の時代である。

そんな時代に昭和天皇の傍にいて、GHQ及び日本政府を相手として
皇室を守る為に尽力した人の日記から時代を読み解く。

昭和天皇の退位問題、最高司令官を突然解任されたマッカーサー
皇居訪問問題、皇太子(今上天皇)の英国訪問にまつわる問題、
そして、皇太子妃選び。

日記の記述は非常に簡潔なものだが、皇太子の立太子の儀に臨んだ
日ではこれまでの苦労が込み上げたのか「ベソ」との記述があるのが
苦心を感じさせる。

頑なに皇居訪問を拒むマッカーサーに憤り、「臣・茂」とまで署名して
皇室を重んじた吉田茂とも時には対立し、庶民出身ながら昭和天皇
皇室に尽くした人は昭和28年に退官する。

その後も美智子妃誕生に関わり、旧態依然とした皇室に嫁いだことで
心身共に疲れ切った美智子妃を支える。

混乱の時代の貴重な記録だが、タイトルがしっくりくない。副題と入れ替え
たらよかったのにな。

尚、長官退官後、ソニーの会長職についているのだが会社で用意した
車を私用では一切使わず都電とバスを乗り継いでいたそうだ。

こんな会社会長、今の時代にいるかぁ。