たかが言葉、されど言葉

仕事中、同僚スタッフをからかっていた。こちらに悪気がないのを
分かってくれるので、相手も笑って受け流している。そこへ、他の
スタッフが私の言葉の遥か上空を行く、きつい言葉を吐いた。

唖然である。もう何も言えないよ。仲がいいからなのかもしれないけれど、
言い過ぎはいかんだろう。そんな糞味噌に言わなくてもいいのに。

誰が言ったか忘れたが「とげとげしい言葉の根本にあるのは寂しさ」
なんて言葉を思い出した。

自身、毒を吐くこともあるのでえらそうなことは言えないけれど、やっぱり
言っていいことと悪いことってあるよね。今日の出来事は自分への戒め
としよう。

『世界を動かした21の演説 あなたにとって「正しいこと」とは何か』
(クリス・アボット 英治出版)読了。

「こんなもん、たかが詞じゃねぇか」と言ったミュージシャンがいた。そう、
言葉なんて「たかが言葉」なのである。

でも、その言葉は人に行動を促したり、考える機会を与えたり、いい方向
にも悪い方向にも力を授けたりする。

アメリカの公民権運動に尽力したマーティン・ルーサー・キングの「私には
夢があります」の一節を含んだ有名な演説を始め、21の演説を取り上げ
ている。

有名なものばかりではない。18歳の時に犯した罪の為、電気椅子
送られることになったアメリカの死刑囚の最期の言葉は死刑制度を
再考するテキストでもある。

どれもが読み手の心に何かを残す演説である。勿論、疑問に思う内容の
ものもあるが、特に印象に残った演説がふたつある。

第26代のオーストラリア首相だったケビン・ラッドが、先住民族の子供たち
を家族から引き離す政策に対して詫びた「盗まれた世代への謝罪」。もう
ひとつはロンドン地下鉄・バス爆破テロで息子を失った「この子がアントニー
です」で始まる、母親のスピーチ。

そのスピーチからの一節を。

「罪もなく流された血は、いつも全能の神に報いを求めます。どれだけの血が
流れなければならないのでしょう。私たちはどれだけ涙を流さなければならな
いのでしょう。いったい何人の母親の心が引き裂かれなければならないので
しょう。」

人間は異なった考え方に拒絶反応を示しがちである。しかし、相手を信頼し
受け入れることで違った方向に向かうこともある。その助けになるのが、
言葉なのかもしれない。

たかが言葉、されど言葉。言葉に込められた信念を、思想を、理解する努力を
すれば少しは争いがなくなるのだろうか。