忘れっぽい

どの面下げて。なんで国会議員センセイにはこの言葉を投げかけ
たくなる人が多いんだろうなぁ。

アメリカのメディアで「愚かな」とまで表現された、ぽっぽ元首相である。
先日も普天間移設問題についてなんだかんだと言っていたようだが、
元々引っかき回して日米関係にひびを入れたのはご自分だということを
お忘れのようだ。

そのぽっぽさんが、どじょう首相を批判した。曰く「原点を忘れたら、政治家
を辞めよ」。おいおい…どじょう首相もあんたにだけは言われたくないだろう。

大体、未だに国会議員だよ?首相を辞めたら国会議員も辞めるはずでは
なかったか?それなのに「辞めるの辞〜めたっ!」って言ったのはどこの
どなた様でしたっけ?

バ菅が奥の細道お詫び行脚なら、ぽっぽさんは沖縄県民の怒りを受け止める
サンドバックになって来てはどうか。

あ…埋立地の人柱にするって手もあるか。でも、それじゃぶれそうだな…。

昭和天皇 「理性の君主」の孤独』(古川隆久 中公新書)を読み始める。

日本を新しい時代に導いた明治天皇、その後を受けたが生来の病弱に
天皇即位後のストレスで若くして亡くなった大正天皇。そして、若き天皇
となった昭和天皇には国民の多くが新時代を期待し、その一挙手一投足
に注目が集まった。

だが、昭和天皇の生きた時代は日本の近現代史中で最も激しい時代だった。
民主的な立憲君主を目指した昭和天皇の望みとは異なり、軍国主義に傾く
時代はそれを許さなかった。

多くの一時資料のすり合わせをし、どのような教育課程から昭和天皇
護持した思想信念を探り、実際の判断にどのように影響したかを追う。

明治天皇は「大帝」、昭和天皇は「賢帝」と呼ばれるが、その狭間の時代に
在位した大正天皇は日本近現代史では影が薄い。

もし、明治天皇の皇子が大正天皇だけではなく皇位継承者ではなく一皇族
であったなら、漢文の研究に打ち込んでもっと長生きが出来たのではないか。
そんなことを思ってみた。