酷く、哀しく、温かい

やっぱり来年も元旦は出勤になっていた。なので、今年も大みそか
元旦に掛けての初詣には行けないな。

あ、大みそかは公休日だから昼間に寝て、初詣に行って、そのまま
早朝出勤なんて方法もあるか。どうせ2日・3日はまた休みだし。

でも、ここ数年、年跨ぎの外出なんてしていないから寒さに耐えられない
かも。それに、徹夜で出勤して暇だったら居眠りしそうだし。笑。

やっぱり家でぬくぬくの大みそかかな。

『遺体 震災、津波の果てに』(石井光太 新潮社)読了。

この著者だから、購入してからしばらく寝かせておいた。そして、ある程度の
覚悟を持って読んだ。でも、やっぱりやられた。

重すぎる。その1行1行が、言葉の一つ一つが、読み手が受け止める許容量を
遥かに超えている。

3月のあの日、テレビの画面を通じてさえ恐怖を感じた津波が押し寄せる映像。
轟音を上げ、渦巻き、何もかもを飲みこんだ津波のなかには多くの人たちが
飲みこまれ命を絶たれた。

被災地では生存者救出と並行して、遺体の弔いも行われていた。メディアは
一切報道しなかった、死が重なる場所がこの1冊に凝縮されている。

なかでも特筆すべきは震災直後から遺体安置所へ通い、遺体の扱いに慣れぬ
市職員を気遣い、葬儀社勤務の経験があるからと責任者に任命してくれるよう
市長に直訴した民生委員だ。

遺体が物のように扱われるのを懸念して、彼は物言わぬ遺体ひとりひとりに
話しかける。母の遺体の前に立ちすくむ男性に、遺体の手から丁寧に指輪を
はずして形見として渡す。既に腐敗が始まった母の遺体に死化粧を頼む
女性の依頼を引き受け、女性が持参した化粧道具を手に死化粧を施す。

「相太君、ママとパパが来てくれてよかったな。ずっと待っていたんだもんな」
「ママは相太君のことを必死で守ろうとしたんだよ。自分を犠牲にしてでも助け
たいと思っていたんだけど、どうしてもダメだった……相太君はいい子だから
わかるよな」
「相太君は、こんなやさしいママに恵まれてよかったな。短い相だったけど
会えて嬉しかったろ。また生まれ変わって会いにくるんだぞ」

生後100日の我が子を腕に抱き津波に飲み込まれ、子供を守れずに遺体に
詫びる若い母親を見かねて彼が遺体に話しかけた言葉だ。

酷過ぎる現実を前にして、それでも死者を弔うことに懸命になった人たち
がいる。身元不明の遺体を、家族の元に帰す為に時間を削った人たちが
いる。

「(前略)復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間が
そこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生十字架のように背負って生きて
行く決意を固めてはじめて進むものなのだ。」

「あとがき」の一節である。釜石市で発見された遺体のうち、引き取り手が
ない身元不明者の遺骨は、現在も市内の寺院で供養されている。

12月19日午後6時まで、東日本大震災での死者は15,842人、行方不明者
3,481人。海上保安庁と警察は、未だ行方不明者の捜索を続けている。