日本の独裁者

アラブの春」で次々と独裁政権が崩壊して行くなか、日本では独裁者に
なりたい人がいるらしい。

任期途中で大阪府知事としての仕事を放り出し、大阪市長選に立つ
元タレント弁護士である。

自分の言うことを聞かないなら乗り込んで行く。なんと子供な発想だろう。
まぁ、自分で「独裁者が必要」とか言っているらしいから有言実行なんだ
ろうけどね。

でもさ、人を動かすリーダー・シップと独裁とでは似ているけど違うんだよ。
その辺のことは分かっているのかしら?

この人、そのうち「町村が言うこと聞かないなら…」とか言いそうなんだが。笑。

『ドキュメント死刑囚』(篠田博之 ちくま新書)読了。

著者が編集長を務める雑誌「創」への手記掲載等を通して接触のあった
死刑囚の存在を絡めて死刑制度を考える。

2冊連続で同じテーマの本を読むことは滅多にないのだが、昨夜、たまたま
書棚から引っこ抜いてしまったのでそのまま読んでみた。

メインで取り上げられているのは連続幼女・殺・害・事件で既に刑が執行された
宮崎勤、奈良女児・殺・害・事件の小林薫、池田小事件の宅間守である。

宮崎勤については精神鑑定の経過を綴った作品も読んだが、一部で言われて
いるような詐病だとは思えなかったが彼の世界観は全く分からなかった。

「二度とこんな事件が起こらないように」。凶悪事件が起こる度に言われる
ことだが、その凶悪犯を極刑にすることで事件の核にあるものを解明出来る
のだろうか。

以前、糞味噌な(失礼)の感想を書いた『さよなら、サイレント・ネイビー』だが、
そのなかにあった上記のような重いには共感出来る。永山基準を覆し、被害者
がひとりでも死刑判決が出た小林薫については「みせしめ」の色が濃くはないか。

そして、近年増えているのが「事件を起こして死刑になりたかった」という言い分。
こういう者に死刑判決を出すことに意味はあるのだろうか。望みを叶えてやる
だけじゃないのか。その見本が死刑確定後1年という速さで執行された宅間守
だろう。

「確かに宅間守のような人物に、生きて更生してほしいと望むのは難しいかも
しれない。彼の犯・したような犯罪を防止するために、この社会にできるのは
どういうことなのだろう。犯罪を犯・した者を抹・殺することしか、我々にできる
ことはないのだろうか。」

著者のこの言葉は考えさせられるね。