屈辱の捕囚
動物や昆虫が襲ってくる。アメリカのパニック映画について話していて、
「巨大イカの逆襲」が話題に上った。
あまりのくだらなさが面白くて何度か観ている映画である。勿論、地上波の
テレビ放送なのだが。観る度に思う。「このイカで、何人分のイカ飯が作れ
るだろう」「ノシイカにしたら、どれくらいの大きさになるんだ?」等々。
今日の話し相手にもそんなことを言っていら、「あのシロナガスクジラと
同じくらいの大きさのイカでイカ飯作ろうとしても、入れる鍋がないんじゃ?」
と言われた。
あ…そこまで考えなかったよ。あれじゃだめか?いも煮会をやるときの巨大
鍋じゃ。まぁ、それ以前にどれだけの米を使うのかって問題もあるんだが。
『ローマ人の物語33 迷走する帝国[中]』(塩野七生 新潮文庫)読了。
近年の日本政府も迷走し始めたローマ帝国には負けた。コロコロと首相の
首がすげ替わる日本を嘆いていたが、ローマでは僅か1年で皇帝が5人も
登場して去って行った。しかも穏やかならぬ去り方で。
軍団が自分たちの司令官を皇帝に推挙すれば、元老院はシビリアンを
帝位に据えようとする。内政の混乱は、外政へも影響を及ぼさずには
いられない。
以前のローマ帝国であれば暗殺された皇帝の始めたことでも、それが
合理的であるとなれば存続させた。しかし、次々と皇帝が倒れて行く
時代ともなると戦略面での一貫性も欠いて行くことになる。
そして、度重なる北からの蛮族の侵入に加え、アレキサンダー大王に
滅亡させられた「大ペルシアの夢をもう一度」で、ササン朝ペルシアが
ローマ帝国に戦いを挑む。
以前のローマ帝国であったのなら、講和を結ぶのは敗者とだけであった。
それなのに、あと少しで勝てるところまで持って行きながら勝敗もはっきり
しないうちに相手と講和を結んでしまう。しかも、ローマが年貢金を支払う
ような屈辱的な講和なのだ。
余力がなくなった大国は、戦役を長引かせたくなかったのか。ローマ人が
ローマ人としてあった時代の誇り高さはどこへ消えたのか。
尚、ササン朝ペルシアとの戦役ではペルシア王の策略に引っ掛かり、
時の皇帝が生きたまま捕囚となっている。帝国始まって以来の屈辱に、
本国の元老院は「あの皇帝はいなかったこと」にしてしまった。
あぁ…こんなの、もうローマじゃないよ〜〜。