比べちゃいけない

選挙活動と言えば街頭演説とか、立会演説会なのは日本である。
ロシアの選挙運動は、党首自らがどんなパフォーマンスをするか
にかかっているようだ。

愛しのワロージャこと、ロシアのプーチン首相が大型バイクでモスクワの
街を疾駆した。すげぇ、格好いいじゃん!さすが、閣下だ。

もう何度、動画を観たことか。これまでにも、潜水艦に乗ったり、戦闘機に
乗ったりと楽しませてくれたワロージャ。今回も期待通りだったなぁ。

でも、いいのか?ノーヘルでバイク乗って。笑。

ローマ人の物語32 迷走する帝国[上]』(塩野七生 新潮文庫)読了。

「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの
動機は、善意によるものであった」

著者が何度も引いているカエサルの言葉である。先帝セヴェルスの軍団
優遇政策がそうだったように、後を継いだカラカラが行ったローマ市民権の
大盤振る舞いと税制改革も、帝国の国力を衰退させる一因となる。

属州民にも広く門戸を開いていたローマ帝国であったが、それは本国イタリア
のローマ人がローマ人としての矜持を持っていたからこそだった。

どんな手を打とうとも、駄目な時はすべてが駄目になる。それが2世紀後半から
歴史上「3世紀の危機」と呼ばれる時期のローマ帝国だった。

そして、カラカラ帝以降、病気で亡くなる皇帝が圧倒的に少なくなる。カラカラ帝、
謀殺。次のマクリヌス帝、謀殺。その後のヘラガバルス帝も謀殺である。

やっと安定した長い治世が望めると思ったアレクサンデル帝も、13年の在位の
後に謀殺される。

このアレクサンデル帝の治世のエピソードとして、軍団兵のストライキの話が
取り上げられているのだが、同じく軍団兵のストライキに遭った際のカエサル
と対比させている。

戦乱さえなければ、善き皇帝だったろうアレクサンデル帝。稀なる天才である
カエサルと比べちゃ、可哀想な気がするが…。

さて、ローマ史で私が目鼻がついているのは実はハドリアヌス帝の時代まで
なのである。帝国の混迷の時代になると、読む方も手探りなのだが、これが
同じローマ帝国なのかと思うと、少々辛くなって来る。