似て非なるもの

日本新党繋がりなのか。どじょう首相が誕生してから、ある人の姿や
発言を目にすることが多くなった。

そう、細川の殿である。あの「どじょう演説」をアドバイスしたのも殿らしい。
小沢氏と会談するよう勧めたのも殿らしい。えー、今度はフィクサーにでも
なりたいのか、殿は。

まさか首相時代に一晩で潰えた「国民福祉税の夢よ、もう一度」ってことじゃ
ないだろうな。殿はもう政治に口出ししないで、蟄居してて下さい。

ローマ人の物語31 終わりの始まり[下]』(塩野七生 新潮文庫) 読了。

「それにしても、内戦はやはり悲劇である。犠牲になった個人にとっても悲劇
だが、「国家」にとっても悲劇である。これさえ起こらなければ、ローマ帝国
いう「共同体」に貢献できた多くの有能な人材が、ただ単に敗者になったという
だけで消されてしまう。なんであろうと、内戦を上まわる弊害はなし、と確信して、
それを避けるためには、帝位の世襲という、ローマ人が飲み下すのに慣れてい
ないことまでした、マルクス・アウレリウスの悲劇が今さらのように思い起こされる。」

内乱の後、帝位に就いたセプティミウス・セヴェルスは、前記のように反対者の
粛清を行った。スッラとマリウスの粛清合戦、アウグストゥスによるアントニウス
支持グループの粛清と、これまでにも帝国には粛清の嵐はあった。

しかし、それは対立候補として立った者と親しかったという理由だけでは
粛清の対象にはされなかった。敗者さえも取り込むローマ人の「寛容」は
どこへ行ってしまったのか。

そしてセヴェルスがやったことはまだある。トライアヌス帝もハドリアヌス帝も、
本国イタリアではなく属州出身の皇帝であった。セヴェルスも北アフリカ属州
出身なのは同じだ。

属州出身者にも元老院議席が与えられて久しいので、属州出身者が本国で
頭角を現すのは珍しいことではない。しかし、セヴェルスは前2者の属州出身
皇帝がしなかった地元への利益誘導と、出身地を同じくする者の積極的な
登用をした。

加えて、自分を支持してくれた軍団へのお礼なのか。大幅な軍団優遇政策
始める。これがミリタリーとシビリアンの乖離を引き起こす。

おまえに蜂起した訳でもないのに、パルティアに攻め込み、後々の禍のタネを
撒く。

後の世から見れば失政なのは明らかな政策でも、やっている本人は「善かれ」
と思ってやった政策なのだろう。著者はそう弁護する。

でもね、なんか違うんだ。これまでのローマ皇帝と。ローマの皇帝はオリエントの
専制君主とは異なるはず。それなのにセヴェルス帝にはオリエントの君主と
同じような匂いがするんだよなぁ。

軍事力を背景に、元老院を抑え込んだ皇帝は病の為に遠征先の戦場で世を
去る。ふたりの息子を共同皇帝に指名して。