災難続き

昨日、9月1日は防災の日だった。3月11日の大震災で首都圏の交通機関
麻痺したことから、今年は主要幹線道路の約100カ所の交差点を通行止め
にしての訓練が行われた。

ふむ、あの時って電車が軒並み運休だったからだろう。単に都内へ入る
車を堰き止めるだけで訓練になるんだろうか。

そして、派遣会社からは「安否確認」の実験要請があった。8時から9時の間
に、派遣会社に電話かメールで安否確認の連絡を入れて欲しいとのことだった。
でもさ、地震発生直後から携帯電話はほとんど役に立たなかったんだぞ?
意味ないだろう、この実験も。笑。

ローマ人の物語30 終わりの始まり[中]』(塩野七生 新潮文庫)読了。

「愛するローマ、幼少のわたしを育んでくれたチェリオの丘」。こう書いた哲人
皇帝アウレリウスは、第二次ゲルマニア戦役の最中に病死した。軍事には
不向きな皇帝だったが、19年の治世のほとんどは戦争ばかりだった。

アウレリウスが将軍たちに遺言したのは、既に共同皇帝になっていた一人息子
コモドゥスを助け帝国の安全に維持に努め、内乱は起こさぬこと。そして、
現在進行中のゲルマニア戦役の続行だった。

遺言通りに共同皇帝になっていた息子のコモドゥスが次の皇帝となる。しかし、
コモドゥスは父の遺言を無視して戦役の終結を宣言する。

このコモドゥス、後にネロやドミティアヌスと同様の「記録抹殺刑」にされるのだが、
彼の知性を狂わせたのはまたもや女であった。それも姉であるルチッラ。

血筋だけを誇った愚かなアグリッピーナ母娘に並ぶ、気位だけは高い女性で
ある。皇帝の長女であり、共同皇帝であったルキウス・ヴェルスに嫁ぎ、「皇后」の
尊称を贈られたことが彼女を勘違いさせたのか。

皇帝となった弟の妃が子供を身ごもったという噂が、彼女の嫉妬心に火をつける。
「皇后は私ひとりよ。私こそがローマ帝国のファースト・レディ。この座を渡して
たまるものですかっ!」。

そこで女は考えた。皇帝暗殺である。それも相当杜撰な計画で。結局は失敗
しちゃうのだが、この陰謀がきっかけとなって皇帝コモドゥスは猜疑心の塊り
となり、暴走が始まる。

マルクス・アウレリウスは死・の床で、コモドゥスを助けて帝国を盛り立てて
くれとの誓約を将軍たちに求めたが、それよりも娘のルチッラに、コモドゥス
の母代わりになって弟を助けるとの誓約を求めるべきであった。」

まったく著者の言う通りである。そうしていれば、コモドゥスも軍団兵からの
誓約拒否にあうこともなかったろうし、入浴中に暗殺されることもなかった
かもしれない。

平和と繁栄の絶頂は崩壊の前兆なのだが、私好みの「格好いい男」が
まったく登場しないのも崩壊の兆しなのか。笑。