その頃日本は

壮絶な戦いだった。某政党の代表選ではない。昨夜の我が家での
テレビのチャンネル権争奪戦である。

全力でぶつかったジャンケン5勝負は、3対2で私の勝利だった。
そして手にしたリモコンで、NHKを選択する。観たかったのは、
NKHスペシャル。

北極圏でイヌイットになった日本人親子3代の生活を追ったもの。
祖父・父・息子の3人で、狩りに出る様子とか結構よかった。

アザラシの解体の様子まで放映していたので、動物原理主義者ならば
目を背けただろうな。でも、必要な分だけを狩の恵みとする彼らの生活は、
欧米のスポーツ・ハンティングとはまったく意味が違うんだけどね。

ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず[上]』(塩野七生 新潮文庫
読了。

同時代人からも「特筆つべきことなし」と記されたピウス帝のもとで、平和と
繁栄を迎えたローマ帝国を少々離れ、ここから2巻はローマのインフラについて。

共和政時代から帝政時代まで、帝国の隅々にまで張り巡らされた「ローマ街道」。
そのなかでも「街道の女王」と言われるアッピア街道の敷設が始まったのは、
紀元前3世紀である。この頃、日本は弥生時代である。

その時代に、対向2車線、歩道完備、排水設備まで備え、平坦な敷石舗装の
街道を作っちゃうんだものなぁ。

そして、同じ頃、中国では万里の長城が造られている。片や街道、片や防壁。
土木事業から見る中国人と、ローマ人の安全保障に対する考え方の違いが
面白い。

また、最初の街道であるアッピア街道の敷設責任者であるアッピアヌスの
晩年が、格好いいんだな。

ギリシアの勇将ピュロスに攻め込まれ苦戦したローマは、ピュロスの提案した
講和に傾く。老齢の為にほとんど目が見えなくなり、歩くことも不自由になった
アッピアヌスは久し振りに元老院に登院した。そこで居並ぶ元老院議員たちを
叱り付ける。

「ピュロスがイタリアから出ていくことが講和の前提条件であり、われわれの家
の庭に踏みこんで居座っている敵は、講和であろうが何であろうが交渉の相手
にはなりえない」

くぅ〜〜〜。気高いじゃないか。これ以降、ローマの講和とは敗者相手に結ぶ
ものとなる。

十字軍の際、居並ぶフランス騎士たちを差し置いて敵地一番乗りを果たした
ヴェネツィアの元首エンリコ・ダンドロに並ぶ格好よさだぜ♪