可能性を考える

私「ねぇ、10億円持ってない?」
旦那「持っていたとしても、個人には売ってくれないと思います」

夕方のテレビ・ニュースではフィリピンが南シナ海の防衛強化の為、
アメリカ軍の中古フリーゲート艦を購入したと伝えていた。

ちぇ…やっぱり売ってくれないのか。しかし、売ってくれたとしてどこへ
置くつもりだ?自分。汗。

さて、南沙諸島問題。これって、日本が尖閣諸島での中国漁船事件を
うやむやに終わらせたからじゃないのか?だから、中国が調子に乗って
フィリピンやヴェトナムを挑発し始めちゃったんじゃないだろうか。

本当にごめんなさい。腰抜け外交で。

ローマ人の物語23 危機と克服[下]』(塩野七生 新潮文庫) 読了。

ティトゥス帝の突然の死で、僅か30歳で帝位に就いた弟ドミティアヌス
兄のように父のそばで軍事や政治を学ぶ機会はなかった。

だが、国境防衛を強化し公共事業にも力を尽くした。その彼が、何故
「恐怖政治の皇帝」と呼ばれるか。

法に忠実に元老院議員の弾劾を行ったのが唯一の理由のように思われる。
それでもスッラの処罰者名簿のように、反皇帝派を軒並みって訳ではない。

市民には概ね好評だったドミティアヌスであったが、ダキア族との戦役の際、
僅かな金額であったとはいえ、講和を結ぶ為に捕虜になったローマ兵を
解放するのに金で解決したことから市民の反感を買う。

結局は親族間の問題で皇宮内で暗殺されてしまうのだが、死後に元老院から
「記録抹殺刑」を受け、彼の治世は「なかったこと」にされてしまう。

史料の不足もあるのだろうが、何故ドミティアヌスがネロ同様の「記録抹殺刑」
になったのかがよく分からぬ。

先帝ティトゥスがもう少し長く生きていたら、ドミティアヌスも軍事・政治を兄の
そばで学ぶ時間も与えられてたろう。

そうであれば、次のネルヴァからの「五賢帝」ではなくヴェスパシアヌスからの
「八賢帝」となっていた可能性もありはしないか。