長として

仮設住宅ではなく恒久的な住宅を」

福祉課原発事故で放射線量の高い警戒区域は、実質、「もう戻れない」
地域ってことじゃないのか。

少し前に、警戒区域の土地を国が買い上げるなんて話も出ていた。という
ことは、もっと早く分かっていたのではないかと思うのだがどうだろう。

事故発生直後、「メルトダウン」を口にした原子力安全・保安院の人が
記者会見から姿を消した。もう隠し事はよそうよ。

何が起こっているのか、何が進行中なのか。本当のことを言ってくれないか。

ローマ人の物語23 危機と克服[下]』(塩野七生 新潮文庫)を読み始める。

ヴェスパシアヌスが病で世を去った後、帝位に就いたのは彼の長男である
ティトゥスだった。

父の皇帝時代、共同統治者とも言える立場におり、帝国の軍略・政策を
間近で見ていたティトゥスは「良き皇帝」であろうと努める。

その彼の治世中に、ローマ帝国はふたつの不幸に見舞われる。

現在の私たちが「ポンペイの悲劇」として知っているヴェスヴィオ火山の
噴火によるポンペイの消滅と、首都ローマでの疫病の蔓延である。

人々が生活していた時のまま、ポンペイの町が火山灰や火砕石に埋もれた
のは後世の発掘作業により判明し、その災害の甚大さを今に伝えている。

安全と食を保証するのがローマ皇帝の最大の責務。僅か2ヵ月前に皇帝に
就任したティトゥスは余震の続くのも構わず、現地に対策本部を設置し自ら
陣頭指揮を執る為に乗り込んだ。

どっかの国の首相に、爪の垢を煎じて飲ませたい決断力・行動力である。

安定した長い治世が続くかと思いきや、父同様、ティトゥスも病を得て
あっけなくこの世を去ってしまう。

父帝の時代、ユダヤの女王に恋をし、しかし、競技場で市民のブーイングを
浴びて真面目に独身を貫いた「良き皇帝」の治世は2年3カ月であった。

「他者を死に追いやるよりも自分が死ぬ方を選ぶ」

反皇帝派の元老院議員への弾劾にも耳を貸さなかったティトゥスがもう少し
長く生きていてくれたら、次の恐怖政治時代は来なかったかも知れぬ。