覚悟の書か

「感動した 菅どうした」「宰相不幸社会」。数日前にネットで見た書き込みだ。
うまいこと考えるなぁ〜と思っていたのだが、民主党国会対策委員会の役員
控室にこの言葉が張られていたとか。

役員控室なんて限られた人しか入れないんだろう。何をしているんだかなぁ。
他にやること、いっぱいあるだろうに。

『日本中枢の崩壊』(古賀茂明 講談社)読了。

キャリア官僚を批判するキャリア官僚。現在、その去就が注目されている
著者だが、現役のまま自分の属する社会を糞味噌に叩いたら肩叩きも
やむを得ないか。

過去にも退職勧告に近いことをされている著者なので、本書の出版に
あたってはある程度の覚悟もあったのだろうと感じる。

官僚は省益の為にしか動かないってのは、これまでの天下りや民間との
癒着の構造を見ていれば分かる。その原因となっているのは、ころころと
首相が変わる日本の政治システムにもあるのではないか。

首相が変われば大臣も変わる。どうせ短い期間しか就任しない大臣で
あれば出来ることは限られている。もうねぇ、官僚に舐められちゃって
るよね、政治家センセイたちは。

民主党の「政治主導」が、いかに誤った方向にいったかの分析や、巻末に
収録された電力会社の送電分離案も興味深い。

「永田町言葉の特徴は、「しっかりと」といったあまり意味のない表現で、
ニュアンスを出す。菅直人氏が得意とした言葉だ。一方、霞が関言葉
は、どんな些細な表現にも意図が込められている。「霞が関文学」では
「○×等」と「等」を入れた場合、後で拡大解釈するための布石だし、「前
向きに」は「やる」、「慎重に」は「やらない」という意味だ。」

政治家も官僚も、誰の為の政治なのかを今一度考えて欲しいね。
先の震災以降、つくづつそう思うわ。「仕事をしないのが官僚の仕事」
なんて言われるけど、あんたらの給料はどっから出ているのか?

著者の警鐘は国民よりも政治家センセイと官僚に伝わって欲しいけどね。