あの時、立ち止まっていれば

一国の首相が政権内部で爪弾きにされている。それでも日常にはなんの
変化も起こらず、国民は生活を続けている。

日本っていう国は、結構凄いんじゃないか。政治家ではなくて国民が。

原発事故を問う ─チェルノブイリから、もんじゅへ─』(七沢潔 岩波新書
読了。

この取材力は圧倒的だ。当事者たちへのインタビュー、ソ連政府や事故調査
委員会の内部資料・議事録に綿密に当たり、史上最悪の原発事故の検証を
している。

「事故は運転員のミスが原因である」。原子炉の安全性を前面に打ち出していた
ソ連は、事故当初、そう発表していた。しかし、炉心制御システムの設計自体に
不備があり、それが暴走の引き金になったことは早い時期に判明していた。

何故、原因隠しが行われたのか。体面を取り繕う為と、これまでの原子力開発の
功労者に対する遠慮があったことは否めない。

そんな理由で当時のチェルノブイリ原子力発電所の運転員や技師、所長たちは
罪をなすりつけられ、今でも遺族や被害者からは白眼視されている。

日本の現状にあまりにも重なりはしないか。クリーンエネルギーを謳い文句に、
国策として推進して来た原発が先般の震災でいかに危険なものなのかを思い
知らされた。

チェルノブイリ事故の後、ヨーロッパ各国では原発の危険性を重視するように
なった。なのに、この事故以降も新たな原発建設に着手したのは日本だけだ。

チェルノブイリという遠隔地で起こった事故は、日本政府にはあくまでも他人事
だったのかも知れぬ。しかし、事故発生からしばらく経過した時、輸入食品の
放射線量が規制値を遥かに超えていたではないか。

あの事故の時、一旦立ち止まって考えていれば日本のエネルギー政策は
違ったものになったのかも知れぬ。「チェルノブイリとは違う。日本の原発
安全だ」。そうやって、事が起これば「想定外だ」で済ませばいいってもんじゃ
ない。

ボンベイの悲劇と並ぶ、世界史上に残る大惨事」と言われたチェルノブイリ
だが、福島原発は事故発生から3カ月経とうとする今も先が見えていない。
言いたくはないけれど、福島はチェルノブイリを超えるかも知れぬ。

本書は◎な良書。この機会に広く読まれて欲しい。