愛し合い、傷つけ合い、独り旅立った
人権派フォトジャーナリストの広河隆一氏にセクハラ疑惑か。
う〜ん…がっかりだよ。
「週刊文春」のスクープなのだが、広河氏の最初の対応はどう
かと思った。
「(女性たちは)僕に魅力を感じたり憧れたりしたのであって、
僕は職を利用したつもりはない」
残念ながらアウトだと思うわ。
『歌に私は泣くだらう ─妻・河野裕子 闘病の十年─』
(永田和宏 新潮文庫)読了。
戦後を代表する女流歌人・河野裕子氏が永眠したのは8月12日。
乳癌だった。
その発症から亡くなるまでの歳月を、同じ歌人であり科学者でも
あり伴侶である永田和宏氏が赤裸々に綴ったのが本書だ。
最愛の人が病に冒される。それも癌である。一般人でも辛いことだ。
永田氏は科学者、しかも癌の知識のある人。河野氏が左脇の大きな
しこりに気付いた時、既に科学者としての知識で、それが癌であろう
ことを理解していたのだろう。
悪いことが重なる。娘の心臓疾患の発症、息子の会社の倒産。そして、
術後の河野氏の心のバランスの崩れ。
体の不調を訴えているのはよくあることだと思う。だが、河野氏の
場合は徐々にエスカレートして行く。矛先を向けられるのは当然の
ように夫である永田氏だ。
永遠に綴家と思われるような罵詈雑言。時には畳に包丁を突きつける。
「ここまで書いていいのか」と思うほどの修羅場である。ただ、それ
さえも振り返ってみれば、河野氏にとっては永田氏が最愛の人だった
からと綴ることに、凄みと、おふたりの、家族の絆の強さを感じた。
そうして、病さえもおふたりから歌を詠むことを奪えなかった。
手術から8年後の再発。死期は確実に近づいている。そんな時でさえ、
河野氏は歌を書きつけ続け、自身に書く力がなくなれば家族が口述
筆記を行った。
担当医から勧められた痛みを緩和する為のモルヒネの使用。永田氏は
それを即座に断った。それもこれも、河野氏が最期の時まで歌が詠め
るようにと…だ。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
亡くなる前日に河野氏が詠んだ歌だ。これ程までに切なく、哀しく、
静かな情熱がこもった歌を私は知らない。
壮絶なれど、美しい10年を読ませて頂いた。