グレッグは取り戻せなかった

『真相 イラク報道とBBC』(グレッグ・ダイク NHK出版)
読了。

イラクは45分で大量破壊兵器を配備できる」

イギリスがイラク戦争に参加する大義名分としたのが、当時の首相
トニー・ブレアが行った2002年9月の政府声明だった。

そして、イギリスとアメリカの主導の下、イラク戦争が始まった。
当初から「早まった武力行使は深刻な結果をもたらすリスクがある」
と国連安全保障理事会で演説し、イラク攻撃に反対の立場を表明し
ていたフランスの言い分に少しは耳を傾けていたらよかったのにね。

それはさておき、イギリス政府の声明は大仰に過ぎるのではないか。
政府内部の情報提供者の話からイラク攻撃の根拠に疑問を呈したの
が、イギリスの公共放送BBCだ。

この報道でBBCはイギリス政府と対立することとなる。BBCの会長は
辞任に追い込まれ、新会長が謝罪することでBBCは政府に屈した。

本書は辞任した当時の会長による回想録だ。ただ、全編、イラク報道
問題ではない。第二章から第七章までは著者がテレビの世界に入って
からの、テレビマンとしての成り上がり物語になっている。

経営者とはどうあるべきかや、組織論としては参考になるかもしれ
ないが、如何せん、イギリスのメディアを理解していないとついて
行けない部分が多い。なので、BBCイラク報道の顛末のみを知り
たければ、第一章と第八章以降を読むだけでも十分だと思う。

イラク戦争後、イギリスは7年の歳月をかけてあれは正しい戦争で
あったのかを検証し、その結果を2016年に発表した。誤った情報
による、誤った戦争であった。大量破壊兵器はなかったし、当時
の政府声明は間違っていた。その為に、多くの兵士が戦場に送り
出され、命を落とすことになったとの結論を出している。

既に、イラク戦争には大義名分はなかったことが判明しているので、
BBCイラク報道も誤りではなかったはずなのだ。なのに、BBC
報道を調査した報告書さえ、誤った情報を元にBBCに政治的圧力を
掛けた。

それはひとえに、政府に都合の悪い報道であり、情報機関から上がっ
て来た情報に手を加えた人物が政府中枢にいたからにほかならない。

BBC上層部と政府との間の生々しいやり取り、記者に情報を提供した
人物の自殺、結論ありきの調査報告。そして、メディアの敗北。この
作品がNHK出版から出ているのは今となっては皮肉かも。今や「皆様
NHK」ではなく、「安倍様のNHK」になっているからな。

尚、著者の辞任が決まった時、BBCの職員たちは職場を放棄し、街頭
に出てデモを行った。「グレッグを取り戻せ」と書かれたプラカード
を手にして。著者を支持し、BBCの経営委員会はBBCの独立性を守れ
との意見広告を新聞に出した。

部下たちにこれほどまでに信頼され、愛された会長だったのかと思う
と感動さえ覚える。日本の、いや、世界のテレビ業界にここまで職員
を動かせる会長がいるだろうか。