グラウンド・ゼロを記録したアメリカ人

『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』(ジョー・オダネル:
写真/坂井貴美子:編著 いのちのことば社)読了。

「今年8月の新聞に、原爆投下後の広島・長崎を撮影した米国の
元従軍カメラマンの死亡記事と並び、作品の一つ、「焼き場に立つ
少年」と題し、死んだ弟を背負い、しっかりと直立姿勢をとって
立つ幼い少年の写真が掲載されており、その姿が今も目に残って
います。同じ地球上で今なお戦乱の続く地域の平和の回復を願うと
共に、世界各地に生活する邦人の安全を祈らずにはいられません。」

美智子皇后陛下は2007年のお誕生日の際、宮内記者会の質問に対し、
文書でのご回答で1枚の写真の存在に触れられた。

2017年末、ローマ法王フランシスコ猊下は「戦争が生み出したもの」
との言葉を記載し、同じ写真をカードにして配布するよう指示された。

唇をぎゅっと引き結んで、背負った弟の火葬の順番を待つ少年の写真。
撮影したのはジョー・オダネル。アメリ海兵隊の従軍カメラマンと
して、終戦の1か月後に占領軍として佐世保に上陸した。

任務は原爆投下後の長崎を写真に記録すること。但し、日本人の写真
は撮ってはいけない。軍の厳命だった。だが、オダネル氏は密かに
個人的な写真を撮影していた。軍の命令に背いたことだったが。

30数枚に及ぶ自分用の写真は、戦後の日本人を撮影したものだったが、
それらは43年に渡りトランクにしまい込まれていた。長崎で、広島で
目にした戦後の日本人の姿に「母国がしたことは正しかったのか」と
の葛藤に駆られ、記録を封印した。

アメリカ世論には今でも原爆投下は正しかったとする向きもある。一方
でオドネル氏のように広島・長崎への原爆投下は必要なかったと考える
アメリカ人もいる。

オダネル氏だって、元々日本への憎しみを抱いていた。真珠湾攻撃の報
に接し、日本を叩きのめす為に海兵隊に志願したのだから。

しかし、従軍カメラマンとして爆心地を記録し、そこで生きる日本人の
姿に接することで彼の心は徐々に罪のない一般市民を苦しめることと
なった戦争への疑問を育んで行ったのではないだろうか。

勿論、彼が元来持っていた性格もあるのかもしれない。

60歳を超えて封印を解いたオドネル氏はアメリカ国内はもとより、日本
でも写真展を開催した。来日時、自身が撮影した「焼き場に立つ少年」
の消息を追ったようだが、不明だったらしい。会いたかったのだろうな。

グラウンド・ゼロを記録し、原爆の、戦争の悲惨さを訴えたアメリカ人
ジョー・オダネル氏は2007年8月9日に亡くなった。奇しくも長崎への
原爆投下の日だった。

NHKスペシャルでも放送された。50分近い動画なので
 お時間のある時にでも。
https://www.dailymotion.com/video/xzghxa