本来眠るべき場所へ

アイヌの遺骨はコタンの土へ 北大に対する遺骨返還請求と
先住権』 (北大開示文書研究会:編著 緑風出版)読了。

『父さんのからだを返して 父を骨格標本にされたエスキモーの
少年』も、『ホッテントット・ヴィーナス ある物語』も学術
研究の名目の下、差別に晒された人たちの話だった。

自分たちと生活習慣が違う、姿かたちが違う。その為に差別に
され、研究の対象にされたのはエスキモーやアフリカの少数民族
などの海外の事例だけではない。日本国内にもあるのだ。

それがアイヌの人たちである。北海道大学をはじめとした日本国内
の大学で1600体を超えるアイヌ人の遺骨が保管されている。それは、
明治期から戦後にかけて、北海道内や樺太、北千島から副葬品と共に
盗掘され、研究材料として保管されていた。

本書は北海道大学に対して遺骨返還訴訟を起こしたアイヌの人たち
の闘いの記録である。

不誠実。北海道大学の対応は、この一言に尽きる。返還を求める人
たちからの文書での質問に、のらりくらりとした回答を繰り返す。

盗掘した教授の研究内容については大学が関与するものではないっ
ておかしくないか?事実、遺骨は北海道大学構内に保管されていた
のだから。それも、動物の標本と並べて。

勝手に持ちされた遺骨が、動物標本と同じ扱いを受けていたなんて
屈辱以外の何物でもないだろと思うと同時に、申し訳ない気持ちで
いっぱいになる。

死者を弔う方法は和人とアイヌとでは違うようだが、だからと言って
アイヌは墓を放っておいているのだから、遺骨は研究が済んでも
返す必要はない」なんて考えは間違っていると思うんだ。

例えば、どこか海外の研究機関が日本に来て、日本人の墓を暴いて
遺骨を持ち去ったら私たちは快く受け入れるだろうか。そんなことは
ないと思う。それと同じなのだ。

遺骨返還を求めるアイヌの人たちの、切実な思いが伝わって来る。

返還できぬ遺骨など、本来ないはずなのだ。アイヌの遺骨のすべては、
本来眠っていた場所に返すべきなのだ。そうでなければ、先祖を連れ
去られた人々に心の平安は訪れないだろうに。

更なる研究が必要であるならば、一旦、すべての遺骨を返還し、改めて
提供をお願いするのが筋じゃないのかな。

世界各国で先住民を差別した歴史に対しての謝罪が行われている。
日本はこの点に関しては間違いなく後進国であると感じるわ。