仕えるのは昭和天皇おひとりのみ

天気予報が朝から雨と風が強くなるだろうと言うからさ、長靴に
合羽、傘を揃えて万全の態勢で朝を迎えたのよ。

それなのに…通勤時間には風は少々強かったものの、雨は一滴も
振らず。仕事を終えて職場を出た時も小雨、地元駅に着いても
風はあるものやっぱり小雨。

自宅に帰り着いてから雨も風も強くなったが、それも短時間で
終わってしまった。準備しておくとこんなものなのかしらね。

昭和天皇と鰻茶漬 陛下一代の料理番』(谷部金次郎 文春文庫)
読了。

ご自身の失敗談も交えて『昭和天皇のお食事』を著したのは、宮内庁
大膳課で西洋料理を担当した渡辺誠氏。本書の著者である谷部氏は
同じ大膳で和食を担当した料理人である。

17歳で大膳課に勤めることになった経緯も綴られているが、ご自身の
ことよりも昭和天皇のお好みや、私たち国民の目に触れないところで
お孫様たちに「おばあちゃま」の顔をお見せに香淳皇后のことなど、
おふたりへの敬愛が溢れるエッセイだ。

昭和天皇が病に倒れる前に、最後のお食事を作ったのが谷部氏なんだ。
それ以前、宮内庁昭和天皇のご病状を発表する前から大膳課では
食がお進みにならないことを気にかけていたんだね。

昭和天皇崩御後、父である昭和天皇を亡くした哀しみの中で即位さ
れた今上陛下のお心を思うとやるせないが、大膳課の和食担当の方々
もご病状が悪化するなかで万一の時に備え、儀式の為のお食事の準備
をしていたのか。

御所でも、御用邸でも、昭和天皇香淳皇后の為のお食事を作って
来た人たちが、その死に備えての準備をしなくてはいけないなんて
辛いだろうなと思う。

著者の人となりがそのまま文章になったようなエッセイで、素朴で
温かい作品だった。

タイトルの「鰻茶漬け」は、茶漬け用に甘辛く煮込んだ鰻で年に1~2回、
京都から届けられていたそうだ。

「あれ、まだある?」

お食事にお出しして、しばらくすると昭和天皇は女官さんにお尋ねに
なったとか。「あれが好き、これは嫌い」とはおっしゃらないが、
こんな言葉から大膳の料理人さんは昭和天皇のお好みを把握されて
いたんだね。

自分が仕えるのは昭和天皇おひとりのみと決めて、著者は昭和天皇
崩御の年の12月をもって退官している。

本書には書かれていない、昭和天皇香淳皇后との思い出はもっと
もっとあるのだろうな。それは、公にすることなく、いつまでも
著者の胸の内に大事に抱え込まれていることだろう。