ジャーナリズムは死なない

武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛
出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」

朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れての、
麻生太郎の発言。何を言っている、麻生太郎

武装難民なんて言葉はないんだがね。これ、麻生語か?国の
No.2の発言とは思えないわ、「射殺」なんて。

阿呆だとは思っていたがここまで阿呆だったとは。

『抗うニュースキャスター TV報道現場からの思考』(金平茂紀
 かもがわ出版)読了。

いつからだろうか。NHKでも民放でも、夕方のニュース番組が情報
バラエティと化したのは。放送時間だけが長くなって、中身はスカ
スカ。インターネット上のネタを紹介したり、動画を垂れ流して、
報道すべきことを報道しない。

沖縄の辺野古では毎日のように反対派の住民の座り込みが行われ
ており、地元の年配の方たちが機動隊に排除されている。そんな
ことを知るには沖縄の地元紙のサイトをチェックするしかない。

報道が委縮している。それは政府・自民党のメディアへの圧力と
無関係ではないだろう。放送法を盾に取って放送免許取り消しの
可能性に言及した総務大臣がいた。政権に批判的な放送をすれ
ば「放送の公平性」の申し入れを行う。

それは権力のメディアへの介入に他ならない。ならば、それをその
まま「政権側より、このような申し入れがありました」と放送するかと
言えばそれもしない。「忖度」が蔓延していやいないか。

またまたヴェトナム戦争の時の話を持ち出す。日本のニュースキャ
スターの草分けである田英夫は北ヴェトナム・ハノイで現地取材をし、
アメリカ軍に爆撃される側の現実を伝えた。これが時の佐藤政権の
逆鱗に触れ、後の突然の降板劇となる。

同じヴェトナム戦争の時。アメリCBS「イブニング・ニュース」のキャ
スター、ウォルター・クロンカイトは南ヴェトナムからのレポートでアメ
リカ軍の撤退を主張した。時のジョンソン大統領は「クロンカイトを
失うことはアメリカの中間層を失うことだ」と嘆いた。

本書で著者も記しているが、戦後日本のニュース報道はアメリカを手
本にしていたはずだ。それがヴェトナム戦争当時でさえ、これだけの
差がついている。では、今はどうだろう。

アメリカの報道も権力に屈した。クロンカイトの後継であったダン・ラザー
子ブッシュの軍籍詐称疑惑の報道で番組を降板した。ただ、それで
も政府に媚びることだけはしていない。

我が国の報道はどうだろう。一時期、安倍晋三首相が昼夜問わずに
バラエティ番組に出続けていたことがあった。それを有難がっている
メディアの姿勢は既に「権力の番犬」ではなく、「権力の愛玩犬」では
ないのか。

政権に目をつけられたくない。だから、報道すべきことがあっても報道
せずに無難な話題で番組を構成する。これが続けばテレビ・ジャーナ
リズムは自死するのではないだろうか。

本書はテレビ報道に携わる著者による内部からの警鐘である。雑誌に
連載された論考をまとめた作品なので、同じ話ような話が何度か出て
くるが、「テレビ報道を見る側」としても参考になる。

誰がジャーナリズムを殺すのか。それは発信する側でもあり、受け取る側
でもある。ただ、著者のように危機感をもつ報道人が残っているのであれ
ば、ジャーナリズムはまだまだ死にはしないとも感じた。