誰にも人間としての尊厳がある

前原民進党が維新との連携を検討だと?終わったでしょ、民進党
維新なんてもろに自民党補完勢力じゃないか。

しかも、チンピラ・ゴロツキ集団だよ。野党共闘維持なんて言いながら、
これですよ。だから、口先番長は信じられないんだ。

維新等連携して政権交代?ちゃんちゃらおかしいんですけど〜。

もう解党してしまえ。

『母よ!殺すな』(横塚晃一 生活書院)読了。

1970年5月の横浜。重度の脳性麻痺児ふたりを抱える母親が、
2歳の女の子の首をエプロンのひもで絞めて殺害した。

殺人者となった母親に対し、ほどなく減刑嘆願の運動が起きた。
メディアも母親に同情的であった。曰く、日本の福祉行政の不備
の為に起きた悲劇である…と。

これに真っ向から異を唱えた人たちがいた。「青い芝の会」。自ら
脳性麻痺者である人々の団体は、障害を理由に殺された側の
人権は無視されるのかと訴えた。

その中心人物でもあるのが、横塚晃一氏である。1978年に胃がん
により死去しているが、彼が生前に「青い芝の会」機関紙などに
書いた文章をまとめたのが本書である。

長らく絶版であったが2007年に版元を変えて復刊。1970年代の
障害者運動を知るためのバイブルでもある。

障害者も一人の人間である。横塚氏が一貫して訴えているの
はこれに尽きるのだと思う。だから、障碍者の自立を目指すの
でもあると思う。

70年代は60年代の政治の季節を引き摺った時代だ。今の時代に
読むと横塚氏の主張は時にエキセントリックで、健常者との対話
では喧嘩腰てもある。そこに多少の違和感を持つのは、私は私
の立場でしか物事を考えられないからだと思った。

障害者は障碍者の、健常者は健常者の。そして、個人がそれぞれ
に置かれた状況でしか物事が見えないことがある。その壁を超える
のは非常に難しいことではないだろうか。

ただ、横塚氏たちが優生保護法改正で障害を持って生まれて来るで
あろう胎児を間引くことに大反対したように、私は現在の出生前診断
には危惧を覚える。

命の選別を、人間がするべきではないと思うから。

完ぺきとは言わないまでも、1970年代から比べたら社会のバリア
フリーは徐々に進んでいる。それも、横塚氏たちの障害者運動が
あってこそだろう。

障害者だろうが健常者だろうが、誰もが持っているものがあると
思う。人間の尊厳だ。それを忘れた時、ナチス・ドイツお障害者
殺しや、津久井やまゆり園の事件のようなことが起きるのでは
ないだろうか。