命に優先する宗教は信じない

「われわれは勢力と勢力がぶつかったと表現している」

ある勢力と、ある勢力が、武器を使って衝突したらそれは「戦闘」と
言うと思うんだけれど、安倍晋三をはじめとした「われわれ」なる人
たちは違うって言うんだ。

難しいな、日本語。てか、勝手に新しい解釈すんなよ。ボソ…。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』(大泉実成 草思社文庫)
読了。

中学2年の時、比較的仲のいいクラスメイトがいた。絵を描くのが
上手だったので、好きな漫画の登場人物を描いてもらったりして
いた。

3年生になりクラスは違ったけれど、交流は続いた。そしてある日、
彼女から「読んでみて」と冊子を渡された。タイトルは既に忘れて
しまったが、聖書の内容を分かりやすく書いたものだった。

それが私とエホバの証人との接触だった。月日は経ち、彼女との
交流もなくなってエホバの証人のことも忘れていた頃に起きたの
がこの事件だった。

1985年11月、神奈川県川崎市。自転車に乗っていた10歳の男の
子がダンプカーに轢かれた。両足複雑骨折。現場に駆け付けた
救急隊によって、すぐさま聖マリアンナ医科大学病院救急救命
センターへ運び込まれた。

医師によって全治2か月くらいだろうと言われた少年だったが、緊急
手術を受けることなく、その日の夜に亡くなった。少年自身も、家族も
エホバの証人であり、教義に従って輸血を拒否したからだ。

私自身、この事件があった頃、若かったこともありエホバの証人
輸血拒否という教義に少なからぬショックを受けた。いつも穏やか
だったあのクラスメイトが信じていたのはこんな宗教だったのか、と。

著者は祖母と叔母がエホバの証人であり、ある時期までその教義に
触れて育った。だから余計にこの事件が引っ掛かったのだろう。特に
週刊誌が報じた、「生きたい」と言ったという少年の言葉が。

閉鎖的な教団内部に入り、聖書の研究をし、信者たちと行動を共に
し、教団内で何が行われているのかを綿密にレポートしている。そし
て、亡くなった少年の家族との接触にも成功している。

今ではこのような取材手法は難しいのかもしれないな。「あとがき」で
少年の家族からの承諾は得られていないと書いてあるから。

圧巻は第十一章「説得」だ。少年が事故に遭い、亡くなるまでを時系
列で再現している。病院に駆け付けた家族と信者仲間の輸血拒否を、
なんとか説得しようとする医師たち。若い医師からは「それでも親か」
との怒声が飛ぶ。時間と共に少年の命の火が小さくなることに、本来
は民事不介入の警察官さえ「お前ら皆告訴だ」と叫ぶ。

どんな宗教を信じようと自由だと思う。ただ、命に優先する宗教があって
いいのかと思う。百歩譲って、エホバの証人にとってはハルマゲドン後
の世界での再会が大事だというならば、それもよしとしよう。

だが、全治2か月だったはずの少年が治療を受けられず亡くなったこと
で、「常務上過失傷害」が「業務上過失致死」になったダンプカーの運転
手さんはどうなのだろう。信者以外の人間はどうなってもいいって事か。

著者が拘った少年の「生きたい」との言葉。実際に少年の口から発せら
れた事実はなかったようだ。だが、救命救急センターへ運ばれる救急車
のなかで救急隊員に「死なないよね」と聞いた少年には、やはりハルマゲ
ドン後の世界ではなく、現実の世界で「生きたい」との思いがあったので
はないだろうか。

著者も書いているように、やはり少年は死ぬべきではなかったのだと思う。
輸血されたことで少年が「汚れた存在」になったとしても、教団から離れて
生きて行くとの選択肢だってあったのだから。

助かったはずの命を、みすみす殺すような宗教ならば、どんなに内部での
居心地が良かろうと私は信じられない。

文章と構成の妙、エホバの証人内部のみならず、医師たちへの綿密な
取材を元にして書かれた優れたノンフィクションである。