本来は寛容な宗教なんだ

昨日の昼間、所用があって常磐道を利用した。出かける時に入口の
情報版に外環道の通行止め情報が出ていた。

あら、事故かしらと思ったがそのまま忘れて用事を済ませてて帰途。
まだ外環道が通行止めになっている。

どんな大事故だ?と思ったら近隣の工事現場の重機が横転して、
高速道路の車線を塞いでいた。

通行していた車両に被害がなかったのが幸いか。渋滞中で停まって
いる車に倒れて来たら…と考えたらぞっとしたわ。

イスラーム 生と死と聖戦』(中田孝 集英社新書)読了。

北大生のシリア渡航計画、ISIによる湯川遥菜さんと後藤健二さんの
拘束・殺害事件で一躍注目を浴びたのが本書の著者である中田孝氏。

東京大学文学部イスラム学科の一期生であり、そのかなで唯一イスラム
教徒になった人。勿論、日本でも有数のイスラム法学者である。

その中田氏が宗教に対する知識のない人にも分かりやすくイスラム教を
解説している。

日本ではいわゆる「イスラム原理主義者」や「イスラム過激派」と称される
人や組織が報道されることが多いけ。しかし本来、イスラム教徒は寛容の
宗教だと思うんだ。

中世の十字軍だってキリスト教徒側が勝手に「異教徒征伐だぁ」って意気
込んで始めた。イスラム側としては寝耳に水だったはずだよね。だって、
キリスト教と違って宣教活動はしない宗教だから、キリスト教徒を勧誘した
なんて事実はないんだから。

スルタンが君臨したオスマン・トルコだって基本はイスラム教の帝国では
あったが、他の宗教も弾圧はしないとのゆるい姿勢だった。でも、スルタン
直属のイエニチェリ軍団は怖いけど…ボソ。

まぁ、イエニチェリ軍団の話は置いておくとして。だから、原理主義者や
過激派の行動には違和感を覚えていた。いや、それほどイスラム教に
詳しい訳じゃないんだけど、アラーさえ信じていればいいってのが基本
なんじゃないかと思っていた。

本書はそんな私の漠然とした感覚を裏付けてくれた。「剣かコーランか」
は間違いで、「剣か税かコーランか」なのだそうだ。税金さえ払えば異教徒
でも改宗する必要はないのだとか。

「剣かコーランか」じゃ随分とニュアンスが違っちゃうよね。改宗を迫って
いるように聞こえるもの。寛容さまるでなしになっちゃう。

それにジハードの解説。ここだけでも読む価値あり。原理主義者や過激
派の口にするジハードが、本来のジハードといかにかけ離れているか
が分かる。

「ジハードとは、イスラム教徒一人ひとりの心の戦いなのだ。イスラム教徒
でも誘惑に駆られることはある。たとえば、酒を飲みたいとか、たまには
羽目を外してみたいとか。そんなとき、堕落しそうになる自分を諌める心の
戦いが本当の”ジハード”だという。己との戦いなのだ。銃で撃ちあい、自爆
テロで敵を倒す戦いなど、決して聖戦と呼ばれるものではない。」

既に亡くなって久しいが、アフガニスタン北部同盟の最高指導者だった
マスードもジハードに関してこんなことを言っていたんだよな。

尚、本書ではISに対する見解も掲載されている。ISとのパイプを持っている
中田氏だが、あの組織に対してはかなり否定的な評価をしている。

一部の暴走したテロリストたちと、一般のイスラム教徒の方々を混同しない
為にもイスラム教の基本を知る為に押さえておきたい1冊だ。