皇族の在り様を体現したお方

フィギュアスケートのシーズンが始まっているのだが、
今年はあんまり真剣に見てないなぁ。

今週末からグランプリシリーズ・ファイナルなんだけど、
14年振りに日本から女子シングルスの出場なしだとか。

いいや。ロシアからリプちゃんが来るから♪

『母宮 貞明皇后とその時代 三笠宮両殿下が語る思い出』
(工藤美代子 中公文庫)読了。

大正天皇ご危篤の報に葉山に駆けつけた昭和天皇と香淳
皇后。緊張からか熱さましのタオルを手袋をしたまま
しぼった香淳皇后に対し、貞明皇后は「相変わらず
不細工なことだね」とおっしゃったとか。

このエピソードが頭にあるからか。怖いお姑さんとの
印象が強い貞明皇后なのだが、これは香淳皇后のご実家
のお振舞いも関係していることなのだろうな。

先日読んだ同じ著者の寛仁親王殿下との思い出を綴った
『悪童殿下』のなかに本書のことが出ていた。既にご高齢
となりインタビュー等の取材をすべてお断りになられて
いた三笠宮崇仁殿下並びに百合子妃殿下へのインタビュー
が実現して出来上がったのが本書だという。

貞明皇后のお人柄等、直接接した経験があり、それを語れる
のは自分の両親しかいないと寛仁親王殿下がお口添えされ
たそうだ。

16歳になる直前に入内し、大正天皇崩御で42歳という
若さで皇太后になられた貞明皇后。百合子妃殿下にとって
はお姑さんだが、芯の強さと濃やかなお気遣いを併せ
持った女性であったことが伝わって来る。

先の大戦時、東京への空襲でお住まいの大宮御所が焼け
落ちた時、「これで国民と一緒になった」とおっしゃれた
エピソードなと、「これぞ国母」と感じさせる。

灯台守の孤独な仕事を気遣い、ハンセン病患者へお心を
寄せ、大正天皇崩御後は1日の大半を喪に服することに
費やす。

戦後、子供たちが外で普通の言葉を話せないといけないと
三笠宮殿下が宮中言葉を禁止した。お孫様を招いてのお食事
の際、慣れた宮中言葉を言い直される貞明皇后がなんか
可愛らしい。

百合子妃殿下のお話になる貞明皇后の思い出も勿論だが、
三笠宮殿下が語られる戦中のお話が興味深い。特に終戦
前夜に阿南陸相昭和天皇ポツダム宣言受諾を撤回する
よう説得してくれないかと最後の談判に三笠宮殿下の元
を訪ねるくだりなどは正に歴史的証言ではないか。

本書は三笠宮殿下91歳の時のインタビューだが、おふたり
ともご記憶が鮮明であることに驚く。

関東大震災後、「着る物のない人もいるのだから」としばらく
夏服で過ごされた貞明皇后東日本大震災の1か月後、内親王
のお友達を招いてお楽しみ会を開いたという今の皇太子ご一家
に説教して欲しいわ。