さようなら、皇室のスポークスマン

横綱白鵬が昭和の大横綱大鵬の大記録に並ぶ優勝記録を
打ち立てた大相撲九州場所。表彰式を見ていたら、ちっさい
おっさんが土俵上に。

羽織袴姿の麻生太郎だった。総理大臣杯の授与での登場だった。
そうか。衆院解散でお国入りだったんだね。

表彰状の読み間違いをしなかったので、ちょっと安心。

『悪童殿下 愛して怒って闘って 寛仁親王の波乱万丈』
(工藤美代子 幻冬舎)読了。

「何か言う人がいるのなら、記者会見でも文書発表でもして
やるから行って来なさい」

東日本大震災後の年の5月。オックスフォード大学での学位
授与式への出席を躊躇していた彬子女王殿下の背中を押した
のは、父上である「ヒゲの殿下」こと寛仁親王殿下だった。

この時の父上の言葉が、涙が出るほど嬉しかったと彬子女王
殿下が語っているのを読んで、もらい泣きしそうになった。

私が長老殿下と呼ぶ、三笠宮崇仁親王殿下の長男・寛仁親王
殿下は平成24年6月6日にご逝去された。

生前の寛仁親王殿下と親交のあった著者による追悼エッセイ
が本書である。提灯持ち評伝ばかり書いている著者なので
二の足を踏んでいたのだが、ご逝去後にトモさんのことを
記した作品って本書くらいしかないので読んでみた。

「名誉職は嫌だ」と札幌オリンピックでは本当に事務局で
事務員として働いたり、ラジオの深夜放送のDJをやったり、
アルコール依存症であることを公表したりと、私たち庶民が
抱く皇族像を打ち破ってくれたトモさんのエピソード満載。

だが、著者のトモさんへの思い入れがあまりにも強いせいか
信子妃殿下のご病気と別居関連の話になると妃殿下に対して
かなり辛口である。

私が信子妃殿下びいきなので余計にそう感じるかもしれない
のだが、妃殿下のご実家の麻生家(特に母上の和子さん)が
再三に渡る結婚の申し入れを拒否していたのを説き伏せて
妃殿下として迎え入れたのだから、ご自分の信念を貫くのも
大事かもしれないがもう少し妃殿下への労りがあっても
よかったのではないかな。

お子様のいらっしゃらなかった秩父宮高松宮両殿下に可愛が
られ、トモさんも両殿下を尊敬し、型破りな皇族でありながら
も「国民に寄り添う」という皇族の在り様を常に考えて行動
されていたのかもしれない。

度重なるがんの手術。そして声帯を失っても発声器を手に
公務にお出ましになっていた、どこか痛々しいお姿は今も
私の記憶に鮮明に残っている。

満身創痍になりながらも、皇族としての務めを果たす。例えば
それは現在の常陸宮殿下のお姿にも重なる。車いすでのお姿を
多く目にするようになったが、それでも園遊会に出席され、
華子妃殿下と共に地方公務へもお出ましになる。

トモさんは一見やりたい放題・言いたい放題に見えても、
ノブレス・オブリージュを十分に務められたのだろう。

それだけに、やはり信子妃殿下との間に出来てしまった溝は
残念で堪らない。皇族に生まれたことの葛藤やストレスに
晒されて来たトモさんを、支えて来たのは信子妃殿下なの
だから。

トモさん、ヒゲの殿下。笑顔がとても魅力的な人だったな。
あの笑顔と、何事も本気で取り組まれるお人柄が、多くの
人を惹きつけたのだろう。