四番、サード、長嶋、背番号3

あぁ…赤瀬川原平さんが亡くなってしまった。77歳はまだ若いだろう。
もっと「老人力」を見せつけて欲しかったよ。

ご冥福を祈る。合掌。

長嶋茂雄 最後の日。 1974.10.14』(鷲田康 文藝春秋)読了。

子供の頃の一茂を球場へ連れて行ったはいいが試合終了後に
置いて帰ったり、ストッキングを忘れてソックスをマジックで
黒く塗ったり。そんな長嶋茂雄伝説は知っているが、現役時代
長嶋茂雄を私は知らない。

ヤクルトvs阪急の日本シリーズでヤクルト・大杉の打球を巡って
の「魔の1時間19分」や、広島vs近鉄日本シリーズでの「江夏の
21球」は覚えている。王貞治本塁打の記録だって、勿論、記憶
のなかになる。

だが、私の一番古い記憶にある長嶋茂雄は既に読売巨人軍の監督
としての長嶋茂雄だった。

プロ野球を見始めた時期が微妙にずれていたとしか思えない。だって、
長嶋茂雄が引退した昭和49年と言えば既に物心がついていた頃なの
だから。

現役時代を知らなくても長嶋茂雄が「ミスター・プロ野球」なのは
知っている。読売巨人軍は嫌いでも、漏れ聞こえて来る長嶋茂雄
魅力には惹きつけられる。

本書は「我が巨人軍は永久に不滅です」との名台詞が生まれた、
長嶋茂雄引退の昭和49年10月14日を中心に描かれたスポーツ・
ノンフィクションであり、彼の引退と共に日本の戦後が終わった
ことに対するレクイエムでもあるのではないか。

本来、10月13日に予定されていた中日とのダブルヘッダー
長嶋の引退の舞台だった。それが雨天順延で翌日になった。

当日券を求め、後楽園球場には早朝から続々と人々が集まって
来る。夢を、希望を与えてくれた、愛すべき長嶋茂雄の現役
最後の姿をその目に焼き付ける為に。

本書を読むまで2試合目終了後の引退セレモニーのことしか
知らなかった。だが、本当の「ファンとのお別れ」は1試合目と
2試合目のインターバルにあったのだね。

引退への準備が進むなか、長嶋本人が強く希望したのは球場を
1周すること。その希望は警備上の理由で却下されていた。

感情を昂ぶらせたファンがグラウンドへ雪崩れ込まないとも
限らない。だが、長嶋は諦めきれない。ファンのひとりひとりの
顔を見ながら、最後の挨拶をしたい。

このグラウンド1周が実現するシーンが見事に描かれている。
「どうすればファンは喜んでくれるか」。現役引退後も常に
ファンを第一に考えた長嶋らしい「お別れ」の仕方だった
のではないか。

長嶋との別れの為にやって来たファンで場内は既に5万を超える
観客で埋まっている。そこへ学校が終わってから駆けつけて来た
小学生たちがいた。

独断で彼らに無料で入場を許した球場副支配人の心意気に打たれ、
引退試合前日に名古屋での優勝パレードの為に東京への試合へ
行くことを球団に禁じられた中日・高木守道の長嶋への電話で
胸が詰まった。

私は間に合わなかった。唯一無二の存在、長嶋茂雄の現役時代に、
その引退の場面に間に合わなかった。

本書を読んでつくづく思う。「4番、サード、長嶋、背番号3」の
場内アナウンスをこの耳で聞き、長嶋のプレーをこの目で見た
かった…と。

ヒーロー。この言葉が最もふさわしい人の、活躍を知らぬことは
何か大事なものを知らずに過ごしているように感じた。とっても
損していないか、私は。