夢見る少女じゃいられない

NHKの朝の連続ドラマのせいか、このこところ柳原白蓮がメディアに
取り上げられることが増えたようだ。

今日の女性週刊誌の広告見出しを見て唖然。白蓮が皇后陛下
お輿入れに反対していたというが何故スクープなのか。

そんな話は昭和史の話を多少知っていれば、簡単に分かること
なんだけどな。それをスクープってさぁ。ドラマ人気に便乗し過ぎ
だろう。

乙女の祈り』(ニコラウス・ガッター 新潮文庫)読了。

1954年、ニュージーランドクライストチャーチである殺人事件
が起こった。犯人はポウリーンとジュリエットと言うふたりの少女。
被害者はポウリーンの母親。

同じ女子高に通う思春期の少女たちは、幻想の世界に遊ぶ。
ファンタジー小説を執筆し、お互いをその登場人物になぞらえて
手紙のやり取りをする。

ここまでなら思春期を迎えた女の子たちにありがちなこと。しかし、
ふたりは少々違った。

お互いを唯一の存在とし、友情とも愛情ともつかない結びつきを
深めて行く。そんなふたりに両親は危機感を抱く。あまりの親密
さに同性愛を疑われ、二組の親は少女たちを引き離そうとする。

離れたくない。ずっとふたりで一緒にいたい。誰にも私たちの
邪魔はさせない。そう、ポウリーンの母さえいなければ、
私たちは永遠にそばにいられる。

少女たちの幻想は暴走し、ついには凶悪な犯罪を犯したこと
で未来永劫、再会は叶わぬ夢となる。

実際に起こった事件をモデルにして製作された同名映画の
ノベライズだが、映画では描き切れなかった細部の描写が
あるので映画を先に観ていると納得出来る部分が多い。

特にポウリーンの日記という体裁を取って、心の動きを
追えるのはノベライズならでは。

確かに夢見る少女期ってのは分かるし、女の子同士の
親密さはエスカレートする場合もあるだろう。だが、それが
母親殺しに結び付いてしまうなんてなぁ。

しかも、その犯行の手口があまりにも杜撰。作家に憧れる
少女なら、もっと綿密な計画を練ろうよ。

誰にも夢見る時期があって、それを邪魔する者への憎悪を
抱えることもあるだろう。しかし、少女は少女のままでは
いられない。いつか、大人の女性へと成長していくんだ。

その時、「あれは若気の至りだった」と反省することに
なるんだけどね。だが、殺人は反省だけじゃ済まないの
だよね。

尚、モデルとなった少女二人は2度と二人きりで会わない
ことを条件に釈放され、それぞれ別の人生を歩んでいる。