英雄なのか、殺人者なのか

『戦争の記憶 記憶の戦争 韓国人のベトナム戦争』(金賢
 三元社)読了。

1968年3月16日。アメリカ軍によるヴェトナム民間人虐殺事件が
起きた。ソンミ村虐殺事件アメリカ本土で反戦運動を後押し
しただけでなく、世界中で批判の声が高まった。

アメリカの場合、未だヴェトナムの地に駐留中に事件が発覚
したが、戦後の長い間、国民の目から隠されて来たのが韓国
軍によるヴェトナム民間人虐殺事件である。

アメリカと共に、ヴェトナムの地を蹂躙した韓国軍が何をした
のか。虐殺の村で生き残った人々、元ヴェトコン兵士、韓国
軍参戦軍人等に取材してまとめられたのが本書である。

女性と子供、そして老人しか残っていない村で行われた
虐殺の様子は想像に絶する。「成長したらヴェトコンになる
かもしれない」。そんな理由だけで赤ん坊の命さえも奪う。

戦争だから仕方がない。そんな考え方もあるかもしれない。
だが、ヴェトコン容疑というだけで命を奪ってもいいのか。

アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件では、ひとりの黒人兵士は
殺戮の様子に耐えられず自らの脚を銃で撃ち、後方へ移送
された。

そして、韓国軍参戦軍人のひとりは戦闘で身体に障害が
残ったにもかかわらず、国からの一切の手当てを受け取る
ことを拒否し、辛酸の戦後を送る。

それは参戦したことでお金を受け取ったら、殺人の代価を
受け取ったことになるから…と。

殺された側にも殺した側にも、回復が難しい深い傷を残す
戦争に、やっぱり「きれい」も「汚い」も、「いい」も「悪い」も
ないのだ。

ヴェトナム戦争から帰還した韓国兵は、勇猛果敢な兵士と
喧伝された。それを信じていた人々にとって、民間人虐殺
はにわかに信じられない事実だったのだろう。

本書の著者も戸惑ったに違いない。そこをもう少し書き込んで
くれればよかったのにな。聞き書き以外の地の文がどうも
抒情詩のようで、今一つ、気持ちが伝わってこないのが
残念でもある。

また、アメリカ軍による虐殺の模様をおさめた写真等が展示
されているソンミ博物館を訪れた際、「本当に韓国人は幸運。
虐殺現場に、軍隊が住民を殺す写真を撮る記者がいなかった
から」と言えてしまえる神経が分からん。この発言に関しては
同行者にたしなめられているのだけど。

過去の深い傷を抱えて、和解への道を目指す。それは困難な
道のりであろうと思う。しかし、目を背けたり、隠蔽したりして
はいけない事実はあるんだよな。

尚、著者がヴェトナム戦争を調べようと思ったきっかけは、
日本のピースボートに参加したこと。当然、従軍慰安婦
討論が起こる。

そのなかで「韓国は日本に謝罪し反戦しろといいながら、
ベトナムに対してはなぜ謝罪しないのか」と言われたこと
だという。

これ、日本人が言ってはいけないだろう。ヴェトナムの人が
言うならいいけどさ。