闘い続けた宮様

秩父宮 昭和天皇弟宮の生涯』(保坂正康 中公文庫)読了。

明治天皇大正天皇も、たったひとりの皇子であった。しかし、
昭和天皇には3人の弟宮がいた。本書は昭和天皇と1歳違い
の弟宮・秩父宮の50年の生涯を綿密に追っている。

昭和天皇と14歳違いの末の弟宮・三笠宮以外の3人の親王
皇孫御殿で一緒に過ごした。おもちゃの取り合いで秩父宮
昭和天皇に手を出すこともあったが、仲の良い兄弟だった。

境遇が一変したのは明治天皇崩御だ。父である大正天皇
即位し、昭和天皇は皇太子として帝王学を学ぶようふたりの
弟宮から引き離される。

「おじじ様が死ななければよかったのに」

そして、秩父宮は軍人としての道を歩むよう陸軍幼年学校へ
送り込まれ否応なく現実社会へ放り込まれた。

昭和天皇の弟宮というのは非常に微妙な立場になる。未だ
秩父宮黒幕説が根強く残る2.26事件に対し、著者は陸軍で
秩父宮を知る生存者に取材し、証言を積み重ねて丁寧に、
そして断固としてこの黒幕説を否定する。

軍事色が濃くなり、中国大陸で陸軍がやりたい放題を始めれば、
不拡大派として軍部の暴走を留める為に奔走する。

だが、戦域が拡大する過程で秩父宮は肺結核に倒れる。御殿場の
別邸で病床に伏した生活が続くなか、首相と陸相を兼任する
東条英機に対し「大権干犯ではないか」と質問を繰り返す。

大日本国帝国憲法にのっとり、立憲君主であることを生真面目に
務めようとする昭和天皇と、戦争の早期終結を進める秩父宮
時に対立することもあった。しかし、それは兄弟中に溝を作る
ような亀裂ではなかった。

陸軍幼年学校に入学する際、母である貞明皇后秩父宮
書簡を送った。兄宮を助け、弟宮たちの模範となり、国民の
気持ちが分かるようにと書かれていた。秩父宮は母の言葉を
忠実に守った。

暴走する急進派の軍人と闘い、軍部に鼻面を引きづり回される
近衛内閣に不満をぶつけ、当時は不治の病と言われた結核
闘った50年の生涯だった。

鉢の梅その香もきよくにほへども
わが弟のすがたは見えず

秩父宮逝去の報に接し「生前にひと目、会いたかった」ともらした
昭和天皇が、秩父宮四十日祭の後に詠んだ御製である。死期が
迫った弟宮に会えなかった後悔があったのだろう。それが本書
冒頭の病床の高松宮のお見舞いへと繋がって行く。

圧倒的な取材力で700ページ超を飽きることなく読ませてくれる
力作である。

自分の為の覚書。
『西園寺公と政局』全9巻。やはり昭和史をひも解くならこれを
読まなければいけないかも。でも、高いんだよな。汗。